創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

正信会の話。

過日、未熟さんのコメントに正信会の事がチラッと書いてあったので今日は正信会について書いてみます。正信会の存在は広宣部になって初めて知り正信会についても色々と勉強しました。といってもリアル正信会信徒と遭遇したのは20年以上前に1度きりだし、ネット界隈でも正信会の信徒なんてほぼ見ません。リアル正信会に会わないのは私の住んでいる地域に正信会の寺院がないからだとしてもネット界隈でも存在が確認されないとなると既に絶滅危惧種といってもいいかもしれません。その正信会ですが同じように正宗から発生したパラサイト異流儀の創価や顕正との大きな違いは、創価・顕正が在家信徒主導による異流儀に対し、正信会は元日蓮正宗僧侶主導の異流儀団体であるとことです。正信会が発生する原因となったのは池田創価の52路線にあります。池田創価による謗法問題により当時多くの学会員が退会し宗門檀徒へと移っていきました。そんな中で日達上人の善導により池田創価はS53年に「教義上の基本問題について」という記事を聖教新聞に掲載しそれまでも我見・邪見を訂正しましたが徹底されませんでした。さらに池田氏による御本尊謹刻事件が発覚したり福島源次郎氏の大牟田発言などがありS54年にそれらの責任を取る形で池田氏法華講総講頭・創価学会会長を辞任し今後は創価学会は二度と教義上の誤りを犯さないことを宗門に誓い日達上人は池田創価を許され今後は創価学会攻撃や「檀徒作り」を禁止し違反する者は処分も辞さない旨の通達を出しました。日達上人から相承を受けた日顕上人もまた日達上人の示された僧俗和合・協調の基本路線を継承しましたが、一部の僧侶はその通達を守らず創価学会攻撃を続けやがて日顕上人・宗務院批判も始めました。そして昭和55年7月4日に「正信会」を結成し正信覚醒運動と銘打って創価批判を続け同年8月24日に宗務院の制止を無視して「檀徒大会」を強行し宗務院は宗規に則り主催者・参加者等を処分しました。その対抗手段として正信会は日顕上人への相承に疑義を呈しこともあろうか裁判所に提訴。これにより提訴した正信会僧侶を擯斥処分として正信会僧侶は日蓮正宗と無関係となりました。これが正信会の生まれた経緯です。正信会僧侶の言い分としては顕正会・浅井氏同様に法主上人や宗門が池田創価に媚びを売ったように言いますがそうではありません。日有上人の化義抄第7条には、

◇同明門徒中に真俗の人を師範に訴う時、ささえらるる人、起請を以って陳法する時、免許を蒙るなり、然るに支えつる輩は誤りなり、仍って不審を蒙る間、是れも又起請を以て堅く支えらる時は、両方且らく同心なきなり、何れも起請なる故に、仏意計り難し、失に依るべきか云云。

とあります。これは同門内に紛争が有った時はそれぞれ大本尊へ起請を立てた後は仏意をもって判断するとの意味です。日達上人・日顕上人が池田創価を許したのは池田創価が大御本尊に対して二度と謗法は犯さないと起請を立てたからで、一度そのような起請を立てた以上その後の事は仏意に任せるのが日興門流の決まりだからです。(ご存知の通り池田創価は大聖人に誓ったことを反故にしました。池田創価が大聖人を欺いたのが仏意です。)それはさて置き。その後正信会は分裂し、現在は宗教法人正信会・日蓮正宗正信会・富士大石寺正信会の3つに分かれています。(富士大石寺正信会は顕正会と同調しましたが参加しているのは1カ寺だけです)いずれにしても正信会は1代目の住職が死亡した時点で寺院を正宗に返還しなければなりません。(元々不法占拠ですから当たり前ですが)正信会が存続するには新しい寺院を建てなければなりませんがそんな供養が集まるとも思えませんし、仮に寺院を建てたとしても本堂にご安置する御本尊はどうすんの?って話になりますから、創価・顕正より先に絶滅すると思います。大御本尊・唯授一人血脈を否定した現証でしょうね。僧侶だった分だけ在家の創価や顕正より早く現証が出るのでしょう。もしも、正信会信徒さんでこの記事に行き当たった人がいたら早く大御本尊様の許に戻られることをご忠告申しあげます。それにしても正信会の皆さんも自業自得はいえ池田創価に信心を狂わされて可哀そうですね。そして自門の僧侶を処分してまで池田創価を守ってくれた日顕上人に対する創価の態度といったら「恩知らず」の一言に尽きます。

 


にほんブログ村

 


創価学会ランキング