創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

富士門流の法難⑪(あとがき)

ここまで江戸時代を中心に大石寺の法難の歴史を記してきました。江戸時代以降にも様々な法難がありました。戦時中でいえば『弾正会』の創始者である藤本秀之介氏(後に出家し蓮城と名乗る)の投獄・獄死一応は創価学会の牧口・戸田の両氏の投獄・獄死も日亨上人は富士宗学要集では『法難』と位置付けられていますが、弾正会がその後も日蓮正宗として藤本氏の遺志を受け継いだのとは正反対に池田大作の言動で牧口・戸田の両氏の投獄・獄死も『法難』と呼ばなくなりました。だた両氏の件は最初から『法難』と呼べるような出来事ではなかったのも歴史上の事実で破門したから「法難ではない。」と言っているわけではありません。むしろ当時の創価学会の功績に対して日亨上人の御慈悲で『法難』扱いにしてくれたということでしょう。さて戦後、創価学会・戸田会長の活躍で大石寺もようやく春が訪れたかに思えたのも束の間で、池田大作が3代会長になると正本堂問題で妙信講(現在の顕正会)、52年路線を前後して正信会という2大異流儀が生まれ宗門攻撃をしてきました。この2大異流儀誕生は【昭和の法難】といっていいでしょう。そしてこの2大異流儀を生んだ根本原因は池田大作の驕慢謗法です。そして平成になると、その池田創価自体が宗門や法主上人に反逆し宗門の僧俗に対し、讒言やデマによる誹謗中傷・悪口罵詈、スラップ訴訟による恫喝や右翼・暴力団を使った脅迫を行い信徒の98%を失うという【平成の法難】に当宗は遭遇したわけです。(平成の法難の時は私も迫害する側に回り大きな罪業を背負ったことに残機の念が堪えません)しかしながら、いままで記事にしたきた法難の数々と同じように昭和・平成の法難を乗り越えて現在の日蓮正宗が存在しているというのが史実です。片や池田創価はあたかも自分達だけが「法難」にあったかが如く自賛していますが見当違いも甚だしい。確かに草創期の学会員の中には村八分や職場解雇等の難に逢った人もいるでしょう。しかしその時に逢難した学会員さん達はみな日蓮正宗の信徒として難に逢っているのです。牧口・戸田の投獄も法難とはいえない理由です。また池田大作に至っては何の難にも逢っていません。池田が投獄されたのは選挙違反の容疑であるし、池田が悪口罵詈されたのも自身や創価の疑惑やスキャンダルによるもので、そのような出来事を「法難」などと呼ぶのは実に恥かしいことです。自分が原因で呼び起こされた災難を「法難」ではなく「横難」なのです。池田大作創価が自賛する難とは「横難」であり「法難」ではありません。そして、何よりも「池田先生や創価学会がだけが難を受けてきた。宗門の僧俗は難をうけていない」などと傲慢に語る学会員は、富士門流の法難の歴史を知るべきである。池田大作が命に及ぶ難など受けていないのは事実であり、大石寺の僧俗が命に及ぶ大難に逢いながら正法正義を守ってきたことも事実である。そもそも戦後の信教の自由が認められた時代にポッとでてきた新興宗教団体の創価学会に「命に及ぶほどの大難」など降りかかる訳がないのである。もし、学会員が当ブログの「富士門流の法難」の記事にたどり着いたら真摯に大石寺の歴史に目を向け創価学会が誕生できたのは、それまでに多くの大難に逢い多くの犠牲者を出しながらも大石寺の僧俗が命がけで戒壇大御本尊と唯授一人血脈を守り次世代に伝えてきたお陰なのです。その戒壇大御本尊と唯授一人血脈を否定するということはそうした先人たちの全てを否定し嘲笑する行為であり仏法者として恥べきことなのです。そして何よりも池田創価の不知恩な言動に日蓮大聖人はお怒りのことでしょう。以上で、富士門流の法難については終了したいと思います。池田創価による【平成の法難】についてはまた別の機会に詳しく記事にしたいと思っています。

 

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