創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

好きなんだけど。

こういう創価批判ブログを書いていると

「どんだけ創価嫌いだよ」って思われがちだが

退転壮年部おじさんさんにもリコメしたが

創価が、好きか・嫌いかと聞かれれば

俺は創価が「好き」だ。

ただ、俺の好きな「創価」とは

宗教法人創価学会ではない。

俺の好きな創価とは

創価の中にいる一人ひとりの人であって

創価学会という組織が好きなわけじゃない。

宗教法人創価学会を好きなわけじゃなく

池田センセを自分の師匠などとも思えない。

勿論、活動しているときは

なんとか師匠と思おうとはしたものの

どうしてもあのお方を「師匠」とは思えなかった。

だって、会ったこともないし

何かをしてもらったこともないのだから。

だから、センセだの組織だのそんなものはどうでもいいのだが

実際に触れ合った創価の人々には

いい人もたくさんいる。

色々とお世話になったり

ともに苦楽を共にしたり

そうした人は大勢いる。

勿論、クサレも大勢いるが

好きか・嫌いかと聞かれれば「好き」だと自覚している。

なのに何故こうして批判をしているかといえば

創価が、正しいか・間違っているかと聞かれれば

「間違っている」からだ。

正宗と別れてた時は

正邪はともかく、創価が好きだ。が優先した。

ところが時間とともに、

徐々に教義や化義が変わり

大御本尊に対する内部の扱いが変わり

そして、ついに大御本尊を棄てた。

事ここに至っては、いくら創価が好きであっても

最早、創価の味方はできない。

好きであっても、間違った事はできない。

それは、大聖人をご本仏と仰ぐ

一信仰者としてどうしてもできないことなのである。

そして好きであっても、それが謗法である以上

それを放置することはご本仏の弟子としてできないのである。

おそらく、創価を退会して人や

俺のような内部アンチの人々も

創価の中で同志のなかで活動したことある人は

過去形も含めて、創価が好きか・嫌いかと言えば「好き」だと思う。

その「好き」(好きだった)創価

邪教・謗法になってしまったことに

大いに心を痛めているのだろうと思う。

逆に、いまも創価で活動している人の中には

創価は間違っているけど「好き」だから。

という人もたくさんいると思う。

俺の周囲にも、創価の本尊義に異論を持ちながら

創価が好きだから」という理由で

創価の活動を続けているヤツも大勢いる。

ただ、信心というのは「好き嫌い」ではなく

「正邪」なんだ。

そして今の創価は、俺の好きな学会員を無間地獄へと誘っている。

まさに無理心中。いや人殺しか。

どっちにしても仏法上のその罪は重い。

それに気づいて欲しいと願う故に批判する。

このブログでは、風聞や流言に基づいた創価批判は書かない。

ただただ、大聖人仏法に基づいて創価を批判する。

大聖人仏法に基づいて創価幹部・活動家を批判する。

大聖人仏法に基づいて池田センセを批判する。

それが、自分の好きな学会員さんへの恩返しだと思っている。

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