創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

母の一周忌と追善供養。

日興上人の祥月命日の今日2月7日は母の祥月命日でもあります。早いもので母が他界してからもう1年が経ちました。午前中に菩提寺で焼香をして申し込んでいた塔婆を持って残雪の中、母の墓参をしてきました。父や友人達が亡くなった時もそうでしたがこうして月日が流れるにつれて色々なことを思い出し切なく寂しく思えてきます。もし今でも自分が創価学会員だったらと想像すると1年前の母の葬儀は学会葬をして初七日や四十九日の法要も行わず納骨し1周忌といっても塔婆供養もせずただ墓参して、あとは勤行の御祈念の時に在りし日の母を思い出しているくらいでしょう。それが創価では当たり前で他の追善供養のやり方を知らないならばそれはそれで自分の中では納得しただろうと思います。恐らく多くの学会員も法要や塔婆など不要。自分が幸福になることが故人の成仏になる。毎日勤行の時に追善回向しているから大丈夫。と思っていることでしょう。私も創価時代に亡くなった父や祖母、そして友人・知人に対してそう思っていました。それが創価学会の教義(日蓮大聖人の仏法の教えではない)で、創価学会とは「そういう」宗教なのだから他教団がどうしようと批判するつもりはありません。ただ創価活動家時代からそのような創価の追善供養の在り方は何だかちょっとモヤモヤしていました。仮に僧侶も塔婆も不要というは仏法の本義だとしても(実際には創価の義であって仏法の本義などではないけど)、何かが物足りないと感じつつ過ごしていました。そんなモヤモヤが日蓮正宗に移籍して母の葬儀を正宗で執り行い両親や祖父母・先祖代々の精霊に塔婆供養をしたり彼岸やお盆の法要に参詣するようになってからは何となく胸につかえていたものが消えたのは実感しています。創価では「功徳がでた」「幸福になった」と自分自身の現世利益の話ばかりで追善供養のことなどほとんど語られることがありません。でも仏教は臨終正念の大事を説き後生の事こそが人生の基準なのです。自分自身の臨終を習うことは同時に父母を含む先祖や友人知人の臨終・後生に思いをはせることです。大聖人は『四条金吾殿御書』の中で、

◆在家の人々も、我が父母、地獄・餓鬼・畜生におちて苦患をうくるをばとぶらわずして、我は衣服・飲食にあきみち、牛馬・眷属充満して、我が心に任せてたのしむ人をば、いかに父母のうらやましく恨み給うらん。僧の中にも父母・師匠の命日をとぶらう人はまれなり。定めて、天の日月、地の地神、いかりいきどおり給いて、不孝の者とおもわせ給うらん。形は人にして畜生のごとし。人頭鹿とも申すべきなり。

と仰せです。自分は「功徳が出た」といって何不自由なく幸福に過ごし池田大作創価学会に感謝しているのに、父母等に対しては報恩感謝の念も薄く法要も営まなければ塔婆供養すらしない。その姿を御先祖たちはどれほど羨ましく恨んでいるか創価学会員は想像もしない。大聖人はそのような人間を人頭鹿と言われています。池田や創価に感謝する前に御本仏と父母等の先祖に感謝するのが人としての在り方ではないでしょうか。仏法を信仰しているというならば尚更です。それを蔑ろにして世界平和なんて可笑しいと感じます。「学会員は毎日、仏壇に向かって追善回向している」と反論するかもしれませんが、それは法華講だって同じです。でも両親が健在だった時を思い出してみてください。普段から両親に感謝していたとしても、誕生日や母の日・父の日にはプレゼントを贈ったり一緒に食事に出かけたり小遣いをあげたりしていませんでしたか?逆に貴方が子供や孫から誕生日のプレゼントを貰ったら嬉しくないですか?仮に親が自分よりも裕福だったとしても(成仏していても)親はそれが嬉しいのです。貧乏していたら(三悪道に堕ちていたら)猶更嬉しいでしょう。法要や塔婆供養はそういうものだと思うし、そのような心を大切するのが仏教であり観心の法門だと思います。それを「塔婆は坊主の金儲けの手段」と教えるのは下衆すぎやしませんか。「外食はレストランの金儲けの手段だから親を食事に連れて行かない。」といっているようなものです。亡くなった人に追善供養をしたいという思いで塔婆供養などをするのであって僧侶や寺院の為にするのではありません。仮にそれで寺院や僧侶が儲けたとして一体何の不満があるのか私には理解できない。しかも正宗の塔婆の冥加料は他宗の半値以下です。それを「坊主に儲けさせたくないから塔婆は不要」などと教える殺伐とした創価学会の信仰はしたくないです。そして正宗の御僧侶が「塔婆を立てないと成仏しない」などと言ってもいない嘘を教える創価組織も嫌です。現役学会員の人たちも考えた方がいいと思います。あなた達に縁がある諸精霊が嘆いていると大聖人は言われていますよ。正宗で勧誡を受けてまずは御自身に縁のある方々への塔婆供養でもされたらどうですか?そんな気持ちが微塵もなければ創価信仰でもいいですけど、自分が死んだ時にも遺族は何もしてくれませんよ。今世だけ幸福ならばそれでいいと思っているような非仏教的な創価の教えから離れてみませんか?

墓参の後にコンビニで母の生前の好物だった杏仁豆腐を購入してお供えしました。思い出すとウルっときますね。

 

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