「今日からキミはこっち側の人間です」
男子部時代の部幹部面接の時に面接官の幹部にそう言われた。
「部」幹部以上は「こっち側」
「こっち側とはどっち側なんでしょう?」と尋ねると
「創価学会の組織を守る側ということです」と説明された。
「創価の組織を守る」
よく活動家・幹部が口にする言葉だ。
組織を守るとは一体どういうことなのだろうか?と考えた。
創価学会などという巨大組織を
守れるような立場でもないし、そんな力もない
自分だ出した答えは
組織といっても結局は学会員ひとり一人のことなのだから
会員一人ひとりを守ることが
組織を守ることだと思って、そう行動してきた。
が、創価の組織を守るというのは
そういうことじゃなかったと数年後思い知らされた。
「組織を守るため」という大義名分の元
俺を含む十数人が組織を通報された。
追放された十数人は、先頭を切って創価の活動をし
折伏も新聞啓蒙も毎年結果を出し
活動を増やし続けたきたメンバーばかり。
そんな追放組の俺たちに共通していたのは
「幹部に指導を受けない」
「幹部の言うことを聞かない」というところだった。
もっとも、指導を受けないとか言うこと聞かないというのは
言ってる側の(幹部側)の言い分であって
当の俺たちからしてみれば
「指導を受けたい幹部がいなかった」
「幹部の言うこと聞いてたら広宣流布は進まない」
としか言い様がない。
ところが、彼らのロジックは
幹部の言っていること聞かないのは
池田センセの指導を聞かないということであり
そのような活動家はいくら結果を出そうと
組織を混乱させる獅子身中の虫。らしい。
日頃は「仏法は勝負だ」なんて言っておきながら
自分らに結果が出せないと
「結果をさせばいいってものじゃない」といい出すのだから
俺達がこんな連中に指導を受けに行くはずないだろう。
まぁ、そんなこともあって
俺は、一人の会員を守ることが学会を守ることだという
自分の考えが間違っていたことに気づいた。
「組織を守る」なんていいながら
その組織のメンバーを追放する。
それは、俺たちだけじゃなく
昔から、そして今も行われている。
「学会を守る」為に
学会員を活動停止にさせたり
中には実際に除名になったりする。
反社会的な事をしているならともかく
そうでない会員さんもそうした仕打ちを受けている。
不倫したり、同志の金を盗んだり、
同志に金を借りて返さないとか
そんな連中は組織内に大勢いるが
表沙汰にならなければ、何の処分も受けないが
「幹部の言うことを聞かない」
「幹部を批判する」と
どんなに活動を頑張っていても
追放・除名である。
一体「守るべき創価の組織」の正体はなんなのだろう?
会員でないことは確かだが
だとすれば「組織」と呼ばれるものの正体はなんなのだろう?
一人ひとりの会員でもなければ
大聖人の仏法でもない
とすると、幹部たちが大切な会員を追放してまでも守りたいのは
「組織の秩序」だろうか?
上からの言うことを聞かない人間は
「組織の秩序」を乱すから追放・除名にするってことだろう。
「団結を乱す」とか
「組織を混乱させる」とかいうのは
「秩序」を乱すということだろう。
まぁ、「秩序」とかくとカッコはいいが
要は、有形無形の「既得権益」を守りたい。
ただそれだけの話なんだけどね。
ゾーン長はゾーン長の
県長は県長の
会長は会長の
そして池田センセは池田センセの
それぞれの「既得権益」を守るために
一会員に「組織を守れ」というわけだ。
学会の組織を守れば諸天に守れれる。
なんていう何の根拠ない言葉で一会員を騙し
その実は、自分達の立場・既得権益をを守りたいだけ。
「守るべき組織」の正体なんて
所詮、この程度のモノだ。
よ~く考えれば直ぐに分かるんだけどね。
組織とは本来その構成員を守るために結成されるもんだ。
組合は組合員を守るために作られる。
や●ざの組だって組員を守るために存在する。
どこの世界に会員が守るために組織を結成するバカいるのか?
本来は、組織が会員を守るのであって
会員が組織を守るなんてのはアベコベなんだよ。
ましてや、創価の組織なんてなくたって正しい信心なんてできるのだから。
いや、違った。
いまは、創価の組織なんてあるからこそ
正しい信心ができなくなる。
守るどころが、破壊しなければいけないのが今の創価の組織だったな。