「いかなる病
さはりをなすべきや」
強盛な題目こそ
病魔を打ち破る力だ!
変毒為薬の実証を!
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男子部時代からの後輩の親父さんが入院した。
金のない時代に、自宅に呼ばれ
よく夕食などをご馳走してくれた
昔ながらの壮年部の親父さんで
1年ほど前から入退院を繰り返していたのだが
今回は救急車で運ばれたらしい。
一時は危険な状況だったらしいが
いまは容態は落ち着いているらしく
一応は安心した。
そんな後輩に少し前
この御文を引用して話をしたばかり。
親父さん本人は唱題できる状態じゃない。
だから代わりに題目を上げろ。と言った。
正確には、「正しい題目をあげるんだ」と言った。
「いかなる病を打ち破る」強盛な題目とは
本門の題目だ。
本門の題目とは、本尊の本尊を信じてあげる題目である。
本門の本尊とは一大秘法たる戒壇大御本尊だ。
それを「信じて」あげる題目だけが「本門の題目」である。
この、御文の前文には
◆日蓮守護たる処の御本尊をしたため参らせ候事も師子王にをとるべからず、経に云く「師子奮迅之力」とは是なり、又此の曼荼羅能く能く信ぜさせ給うべし
とある。
「日蓮守護たる処の御本尊」とは、
大聖人の色心二法であり、大聖人のご当体である。
その大聖人のご当体とは
現在では、大御本尊以外ない。
創価がなんと言おうと、それは紛れもない事実だ。
逆に大御本尊以外に大聖人のご当体が存在するならば
一体どこにあるのか?
経王殿にしたためられた守り本尊も
大聖人が存在すればこそ
大聖人に対する信があればこそ
本尊としての力用が発揮されるのであって
大聖人への「信」がなければ用はないのである。
「但し御信心によるべし」と言われている通りだ。
本気で親父さんを病魔から守って欲しいのなら
「正しい題目を上げること」
そう後輩には話をした。
その後、彼は方便・自我偈の勤行をやめ
五座三座の勤行をしている。と言っていた。
そう。それでいい。
今世の寿命は人それぞれだ。
題目あげて不老不死になるわけじゃない。
ただ、折角大聖人の信心をして
御本尊を自宅にご安置してるのならば
正しい題目を上げなければ後悔する。
変毒為薬も転重軽受も
正しい本尊に
正しい題目をあげる。という
正しい信心をすればこそ。
大御本尊を捨て、創価のいうがままの信心では
病魔を打ち破ることはできない。
創価の教学・指導とそれを推進する幹部・活動家は
病魔どころから第六天魔なのだから。