創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

創価教学じゃない御書講義(30年度10月座談会御書・日女御前御返事)

穴賢南無妙法蓮華経とばかり唱へて仏になるべき事尤も大切なり、

信心の厚薄によるべきなり仏法の根本は信を以て源とす

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今月の座談会御書は、「日女御前御返事」ですね。

「日女御前御返事」はこの別名「御本尊相貌抄」と「品々供養事」の2編あります。

今回の「御本尊相貌抄」は創価活動家が大好きな「胸中の肉団」云々の一節が書かれている御書です。

この御文を文証にして学会員は本尊は自分の胸中にある。なんていう間違った認識と指導をするわけです。

今回はその御文ではありませんけど、本御書の結論的な一節です。

さて今回は先月同様に「本門の題目」についてのご指南です。

この短い御文の中に「本門の題目」とは?ということが凝縮されています。

「本門の題目」には、必ず「信」と「行」が備わっていいます。

逆に言うと「信・行」が備わっていないのは「本門の題目」ではありません。

◇本門の題目には必ず信行を具す、所謂但本門の本尊を信じて

南無妙法蓮華経と唱うるを本門の題目と名づくるなり(日寛上人・文底秘沈抄)

◇当に知るべし、行に始終あり。謂く、信心はこれ唱題の始めなり。唱題はこれ信心の終りなり。

これ則ち刹那の始終、一念の因果なり。 (日寛上人・取要抄文段 )

今回の拝読箇所の【南無妙法蓮華経とばかり唱へて】というのが「行」です。つまり「唱題」そのものが「行の題目」です。

そして【仏法の根本は信を以て源とす】とうのが「信の題目」となります。

これは創価が大好きな同書の

◆此の御本尊全く余所に求る事なかれ只我れ等衆生法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり

と全く同じことを言われているわけです。

この御文も【法華経を持ちて】というのが「信の題目」で【南無妙法蓮華経と唱うる】が「行の題目」

つまりこれらの御文は「本門の題目」言い換えると「勧心」についてのご指南であって「本尊」のご指南ではないわけです。

◇但本門の本尊を受持し、信心無二に南無妙法蓮華経と唱え奉る、

これを文底事行の一念三千の観心と名づくるなり。(日寛上人・観心本尊文段)

それを「本尊」のご指南だと読み違えあまつさえ自分自身がご本尊である。

などという解釈・指導する創価バリカツは「発狂中の肉団子」であると申し上げておきましょう。

さて、「信の題目」というのは、上記のご指南に明確にさているように「本門の本尊を受持」することです。

「本門の本尊を受持する」のが「信の題目」であり「根本」であり「本門の題目を本門の題目たらしめている」ことになるわけです。

本御書の御文に

日蓮が弟子檀那等正直捨方便不受余経一偈と無二に信ずる故によつて此の御本尊の宝塔の中へ入るべきなりたのもしたのもし十界具足とは十界一界もかけず一界にあるなり

この部分の【御本尊の宝塔の中へ入るべきなり】とは、「仏界即九界」の本因妙です。

創価の好きな【胸中の肉団におはしますなり】とは「九界即仏界」の本果妙です。

本因妙は、「本門の本尊」即ち一大秘法の大御本尊を受持する「信」により

本果妙は、「本門の本尊」を信じて唱題する「行」によって成立します。

◇我等一心に本尊を信じ奉れば、本尊の全体即ち我が己心なり。故に仏界即九界なり。

我等一向に南無妙法蓮華経と唱え奉れば、我が身の全体即ちこれ本尊なり。故に九界即仏界なり。(日寛上人・観心本尊文段)

この本因本果が「本門の題目」により自身の色心に顕れる。それが当体蓮華です。

当体蓮華を別のいい方で「成仏」というわけです。

その成仏の根本は「本門の本尊」への「信」であり、さらいえば「本門の本尊」の根本は

一大秘法の戒壇大御本尊であるというのが大聖人仏法なのであります。

故に、その根本中の根本である、戒壇大御本尊を受持しない。すなわち不信の学会員が唱える題目は

「本門の題目」などとは到底呼べる代物ではないわけです。

結果「南無妙法蓮華経」と唱えても成仏もしなければ、肉団子の中に本尊が顕れることなどあり得ません。

謗法者の胸中になぜに御本尊が顕れるというのでしょうか。

大作センセの有名なスピーチで私もリアルタイムで聞いていましたが

▼「宗祖日蓮大聖人がこの御本尊も、ただ信心の二字におさまれりと言われたのであります。信心の二字の中にしか本尊はないんです。本門戒壇の板御本尊、なんだ寛尊、信心の中にしか本尊はないんです、ただのモノです。一応の。機械です。幸福製造機だもの。大聖人の御書だ。」 (平成五年九月七日・本部幹部会)

というのがあります。完全に頭のイカレタ爺さんの譫言です。

信心の中しか御本尊はない。というのは本門戒壇大御本尊を信じる(受持する)心の中にしか

「観心の本尊」は顕れない。ということなんですよ。

さて、この大作センセのご指導通りで言えば

いまの創価がご本尊と呼んでいるモノですが

そんなものは「ただのモノ」です。一応の機械です。金蔓製造機だもの。センセの指導だ(笑)

とまぁこうなります。大作センセは「ただのモノ」を3000円で売りつけたわけですね。

これぞ「金蔓製造機」の真骨頂ですね。

なんでも今度は特別御形木なんていう正宗をまねた「金蔓製造機」を販売なさるとか?

5000円ですかね。今度の「モノ」は(笑)

今日は奇しくも本門戒壇の大御本尊御建立の10月12日。

いつまでも創価の金蔓製造機の「パチモンの本尊もどき」に「ニセモンの題目」なんてあげていないで

「本門の題目」に立ち返った方がいいんじゃないですか?

え?板曼荼羅の日なんて俺たちには関係ない?

いやいや、そんなバリカツさんなんかに言っていませんよ。

「信心」が残っている学会員さんに言っているんですよ。


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