創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

創価教学じゃない御書講義(2025年3月座談会御書・上野尼御前御返事)

法華経と申すは、手に取ればその手やがて仏に成り、口に唱うればその口即ち仏なり。譬えば、天月の東の山の端に出ずれば、その時即ち水に影の浮かぶがごとく、音とひびきとの同時なるがごとし。故に、経に云わく「もし法を聞くことあらば、一りとして成仏せざることなけん」云々。文の心は、この経を持つ人は、百人は百人ながら、千人は千人ながら、一人もかけず仏に成ると申す文なり。

今月の座談会御書は『上野尼御前御返事』です。この御文は法華経は歴劫修行が必要な爾前権教と違い即身成仏ができるのであるとのご教示です。末法現世においては釈迦の法華経はすでに功力を失っているのだから、大聖人の言う法華経とは何かということが今回の御書講義のポイントになる。池田大作はこの御文を引用し、「法華経とは、いうまでもなく大聖人の法華経、すなわち三大秘法の南無妙法蓮華経のことである」(池田大作全集83巻)と指導している。同じ御文を日如猊下は「このなかで「法華経」と仰せられているのは、申すまでもなく本因下種の妙法蓮華経のことであります。」と指南されている。日如猊下は「本因下種の妙法蓮華経」といい池田は「三大秘法の南無妙法蓮華経」という。この指導・指南の差が、創価を邪道に走らせ法華講を正道に導いている差だ。「本因下種の妙法蓮華経」と言う時には三秘ではなく一大秘法の法体を示し、その法体を所持しているの日蓮大聖人が本仏となり、大聖人の色心二法の当体である戒壇大御本尊を指す。即ち当該御文における「法華経」とは戒壇大御本尊と会通する。しかし「三大秘法の南無妙法蓮華経」では具体的にそれが何であるか意味不明なのである。そしてこのような意味不明であやふやなモノの正体を池田は「宇宙の法則」というこれまた意味不明なあやふやなモノだという。南無妙法蓮華経は宇宙の法則ならばその宇宙の法則とは何かと訊けば南無妙法蓮華経と答える循環話法の詭弁を用いているのが池田の指導である。だから創価員は本尊に迷い本仏に迷った結果、本尊を抜きにして題目に功徳があると間違った解釈をする。何度も言うが、唱題は信力・行力であり仏力・法力が備わっているのあくまでも正しい本尊であるのだから、いくら信力・行力が本物であっても創価偽本尊を拝んでいては絶対に功徳は出ない。現証(功徳)が大切と言っても文証と理証が揃っている事が大前提で、その文理に照らせば創価学会員が功徳を思っているのは全て魔仏の通力であることは明らかである。人を煙に巻くような池田の指導なんて糞くらえなのだ。余談だが池田は更にこの御文を引用して「大聖人の仏法は、あらゆる人々に開かれた「世界宗教」である。法主だけが″特別の人間″であるとか、法主の言うことなら謗法であっても従わなければならない、とは御書に書かれていない。皆さまは、聖職者のまやかしに絶対にだまされてはならない」。など言っているが、大聖人の仏法は誰にでも開かれているが謗法者には閉ざされているのある。また日蓮正宗法主上人が「特別な人間」という指南も教義もないし、池田が敵対視していた日顕上人に謗法などない。池田を特別な人間に仕立て三宝破壊の誹謗中傷を繰り広げた挙句、後には戒壇大御本尊を棄て更には日興上人を差し置き僧宝を詐称し大聖人を釈尊以下に下した池田創価こそが謗法だろう。「聖職者のまやかし」とは、池田創価の「まやかし」であることに気づかなければ創価員に即身成仏など永遠に訪れない。待っているのは堕在無間の未来だけだということに早く創価員は気付くべきである。

創価学会の退会方法(静かに創価を去るために) - 創価ダメだしブログ

 

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