創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

御講拝読御書研鑽(2022年12月・崇峻天皇御書)

人身は受けがたし爪の上の土人身は持ちがたし草の上の露、百二十まで持ちて名をくたして死せんよりは生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ、中務三郎左衛門尉は主の御ためにも仏法の御ためにも世間の心ねもよかりけりよかりけりと鎌倉の人人の口にうたはれ給へ、穴賢穴賢、蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり、此の御文を御覧あらんよりは心の財をつませ給うべし。

 

今年最後の御講拝読御書は有名な『崇峻天皇御書』の一節です。創価が財務向けに供養の御文を取り上げる時期に「心の財」の大切さを教えてくれる正宗。銭ゲバ創価とは違いますね。この御文も色々と会通できますが、後半部分が有名なのでそこを中心に研鑽したいと思います。【蔵の財】とはお金等の物質的な豊かさでそれよりも【身の財】である健康や或いは才能の方が優れています。いくらお金が有っても健康でなければ意味がないしどこかの名誉会長の様にボケてしまっては蔵の財も持ち腐れです。【身の財】は【蔵の財】の源泉ですからね。そして【身の財】よりも【心の財】が一番大切であると大聖人は御指南されています。ここは種々解釈が可能ですが、蔵の財も身の財もそれを動かすのは「心」であること。また人生において幸・不幸を左右するのは最後は目に見えない力でありその力は善悪を問わず「心」によって発揮されること。ですから心に財を積むことが一番大切になるわけですね。ここまでは現世のことについての話ですが三世に立脚して見てみると、大聖人が『持妙法華問答抄』で

◆須く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみこそ今生人界の思出なるべき

とお示しの様に、来世に持ち越せるのは【心の財】だけなのです。どんなに財産や才能があってもそれらは全て今世限りの事で来世には何ひとつ持っていけない。【蔵の財】に至っては、日寛上人が『臨終用心抄』で、

臨終の時心乱るるに三の子細有る事。(乃至)三には妻子従類の歎きの声、財宝等に執着するの故云云

と御指南されているようにややもすれば成仏の妨げにすらなる場合もあります。いずれにしても来世に持ち越せる【今生人界の思出】は今世で生命(心)積んだ善悪様々な業だけなのです。そして来世に財となるのは正法への信心だということです。「心の財を積む」というのは上記の『持妙法華問答抄』の御文の通り、勤行・唱題そして折伏の自行化他の信心が基本です。当然寺院参詣や御登山、真心の御供養やお給仕など含まれます。つまり正しい仏道修行を重ねることが「心の財を積む」ということです。120歳まで長生きしても正法を信じることもなく剰え謗法を犯すような人生よりも、たった一日でも御本尊を受持することが大切なのです。これはまたこの信心は信仰歴や年齢は関係がないという御指南でもあります。長く信仰をしていようと年齢を重ねていよう信心には何の関係もありません。長く信仰をしていると信心が惰性になり折伏を忘れいつしか勤行・唱題もままならなり挙句の果てには同門や御僧侶を批判する人を創価時代もそして今も目にすることがあります。折角、御本尊に巡り会えたのにそれでは「名をくたして」いるだけですね。そのような同門の方を見ると実に悲しく思います。【心の財】は我々凡夫は目で見て確かめることができません。ですから私も時に不安になったり猜疑心が頭を持ち上げることもあります。でも我々凡夫の肉眼では見えなくても御本仏の仏眼にはちゃんと見えている。1篇の題目に1歩の寺院参詣に一言の下種に【心の財】が積まれていてそれは御本尊にはちゃんと見えていると信じて日々の仏道修行に精進しています。

◆一生空しく過ごして万歳悔ゆることなかれ(富木殿御書)

です。今年も残りわずかですが悔いのない信心をして悔いのない日々を過ごしてまた来年には新たなる決意のもとで出発したいと思っています。

 

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