創価ダメだしブログ

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創価教学じゃない御書講義(2022年度1月座談会御書・持妙法華問答抄)

寂光の都ならずは何くも皆苦なるべし本覚の栖を離れて何事か楽みなるべき、願くは「現世安穏後生善処」の妙法を持つのみこそ只今生の名聞後世の弄引なるべけれ須く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみこそ今生人界の思出なるべき。

2022年最初の座談会御書は、『持妙法華問答抄』の上記の御文。8000円もする高級御書を会員に買わせたのだからいままで取り上げてこなかった御文かと思いきや、やっぱり以前やった御文の流用。本当に創価本部職員は働きませんなぁ。てか新しい御書なんて要らないでしょ。いつも同じ箇所しか読まないのだから(笑)

※過去記事はこちら▶創価教学じゃない御書講義(29年度9月座談会御書・持妙法華問答抄)

さて、前回は「現世安穏後生善処」について書いたので今回は【今生人界の思出】について書いてみたいと思います。創価では学会活動が今生人界の最高の思い出でなるような事をいいますが学会活動に限らず今生の思い出など来世に持っていくことはできません。前世のことを覚えている人間などいませんから学会活動が楽しく充実していたとしてもその思い出は死んだら全て消え去ります。では今生人界での出来事は全て消え去るのかと言えばそうではありません。九識論で「生」を説明すると「生」の状態とは五根より生じる五識と意識の六識に自我意識と言われる無意識の末那識の七識が存在している生命状態です。これらは「死」と同時に無くなります。しかし死してなを七識の底にある阿頼那識とさらに一番根底のいわゆる仏界と呼ばれる阿摩羅識が残ります。その第八識である阿頼那識に今生人界での思い出は残ります。その思い出とは人界七識で感じたものではなくいわゆる「善悪の業」が思い出として残り、次生ではこの阿頼那識によって自我識である末那識が決定され次の人生を左右し決定していきます。

◆人の身には同生同名と申す二のつかひを天生るる時よりつけさせ給いて影の身にしたがふがごとく須臾もはなれず、大罪小罪大功徳小功徳すこしもおとさずかはるかはる天にのぼて申し候と仏説き給う(同生同名御書)

との御文にあるように人間として生まれたその時からその人の善悪の全てが阿頼那識に蓄積されていきます。同生天と同名天が全ての「善悪の業」を伝えると書かれています。因みに御本尊の左右の「大毘沙門天・大持国天」の「大」の上書かれている「点(線)」が同生・同名天です。ともあれ今生人界の思い出となり来世に持ち越されるのは阿頼那識に刻まれた「善悪の業」だけです。故に大聖人は【須く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみこそ今生人界の思出なるべき】と大善根であり大功徳である南無妙法蓮華経を持つことが最高の今生人界の思い出なるのであると言われているのです。【須く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみ】との

この御文が本抄の題号である『持妙法華』の具体的な御指南です。つまり自行化他の唱題が南無妙法蓮華経を持つということです。そして「持つべき法体」とは大聖人の出世の本懐である弘安二年の本門戒壇の大御本尊であることは創価がいくら詭弁を用いようとも日興上人以来の大聖人仏法の動かざる根本なのです。どうしてそれを否定したいのであれば創価民はいま安置している戒壇大御本尊の書写のコピー本尊を受持するのを辞めて戒壇大御本尊以外の本尊のコピーを使うべきでしょう。そうしない限り創価の詭弁による自己矛盾は解消しません。ましてや創価本部の本尊は本来であれば破門と同時に宗門に返納しなければいけない本尊であり、会員の自宅の本尊は正宗の御本尊である日寛上人書写の本尊を盗んで勝手に改竄してコピーをしたという「イカサマ本尊」です。そんな創価に所属し活動をすればそれだけ阿頼那識に大謗法という悪業だけが山のように積まれていくだけです。学会活動が楽しいし充実していると思ている会員さんもいるでしょうし、相変わらず戒壇大御本尊や正宗の僧俗を口汚く罵るのが正義だと思っている活動家もいますが、そんなもの死んだらなんの役にも立たないどころかただ悪業を積み臨終後そして来世の苦しみの因にしかならないことは大聖人仏法の法門に照らせば明らかなのです。

◆小善を持て大善を打ち奉り権経を以て実経を失ふとがは小善還つて大悪となる薬変じて毒となる(下山御消息)

◆設ひ善を作人も一の善に十の悪を造り重ねて結句は小善につけて大悪を造り心には大善を修したりと云ふ慢心を起す世となれり(月水御書)

百歩譲って創価が「善」であったしても、その学会員さんが「善人」であったとしても創価に所属していれば、「大善」「極善」である戒壇大御本尊を捨て敵対する「大悪」「極悪」の業が阿頼那識に刻まれてしますのです。それは確実に来世に持ち越される死んでも尚消えない負の思い出となっていくのです。本抄には、

◆頓証菩提の心におきてられて狐疑執著の邪見に身を任する事なかれ、生涯幾くならず思へば一夜のかりの宿を忘れて幾くの名利をか得ん、又得たりとも是れ夢の中の栄へ珍しからぬ楽みなり

とのお言葉もあります。学会員としての楽しいひと時。それは単なる仮の楽しみでしかありません。その一瞬の仮の楽しみに現を抜かし後生に苦しむのは愚の骨頂です。学会員さんには一時も早く創価の悪夢から目を覚まし「寂光の都」である戒壇大御本尊の許に戻ってきて欲しいと思います。

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