創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

Q&A 学会活動に関する素朴な疑問【添削版】①(勤行・唱題①)

創価学会の公式サイトに学会活動に関する素朴な疑問に答えるコンテンツがありますが、日蓮大聖人の仏法から逸脱した回答もあります。創価学会という新興宗教を信仰する人はこのままでも十分ですが、日蓮大聖人の仏法を信仰したいと思っている初心の創価学会員が日蓮大聖人の仏法と創価信仰を混同しないように添削をしたいと思います。尚、本分の太字部分は創価学会公式サイトからの引用になります。

Q.なぜ「南無妙法蓮華経」と唱えるの?

「南無妙法蓮華経」とは、端的に言えば、日蓮大聖人が覚知された、万人の苦悩を根本から解決する法です。この南無妙法蓮華経は、宇宙と生命を貫く「根源の法」です。

日蓮大聖人は「南無妙法蓮華経」を覚知したのではありません。「釈迦如来・五百塵点劫の当初・凡夫にて御坐せし時我が身は地水火風空なりと知しめして即座に悟を開き給いき」(総勘文抄)「至理は名無し、聖人理を観じて万物に名を付くる時、因果倶時ぐじ・不思議の一法之これ有り。之を名づけて妙法蓮華と為す云云」(当体義抄)の両御文を相互参照すると分かりますが、大聖人は根源の方を覚知したのではなく最初から所持してのです。覚知したとすると因果異時になってしまいますね。釈尊は、人びとの苦悩を自身の苦悩とし、その解決法を探求しました。その結果、宇宙と生命を貫く永遠にして不変である根源の法を、自身の生命の内に覚知し、仏(仏陀)と呼ばれました。釈尊が根源の法を覚知したのは大聖人が所持していた南無妙法蓮華経を修行したからです。だから大聖人を本因妙の仏といい釈尊を本果妙の仏と言います。このように大聖人と釈尊は明確に区別されるので同等ではありません。

Q.「南無妙法蓮華経」の「南無」ってどういう意味?

「南無妙法蓮華経」は、「妙法蓮華経に帰命する」ということになります。この解釈は身延日蓮宗の解釈で日蓮大聖人仏法の解釈ではありません。「妙法蓮華経」とは「法」で、「南無」とは「人」ですから「南無妙法蓮華経」の七字で人法一箇の本尊になります。また、境妙・智妙・行妙・位妙の四妙を合わせて本因妙といいますが、「妙法蓮華経」は境妙・智妙で、「南無」は行妙・位妙です。このように「南無妙法蓮華経」の七字で本因妙の本尊になるのです。釈尊の説いた妙法蓮華経法華経)に「南無」するのであれば曼荼羅本尊は顕れません。

Q.勤行と唱題の意味が分からないまま、読誦していて良いの?

もちろん意味が分からなくてもOKですが、戒壇大御本尊を信じるという正しい信心に正しい本尊、そして正しい勤行をすることが肝要です。今の創価本尊は正しい本尊ではなく、創価の勤行形式も間違っているので創価式勤行では功徳はありません。

Q.御祈念文の意味を教えてほしい

日蓮大聖人の仏法では、「御祈念文」ではなく「御観念文」といいます。正しい「観念文」には単に「祈る」だけではなく大聖人仏法の法門法義が書かれてているのです。なので正しい「観念文」を読むことで自然と大聖人仏法が身に付くのです。また三代会長への報恩感謝などという在家が在家に報恩感謝するような観念は大聖人仏法のみならず仏教にない非仏教の祈念ですからやめましょう。

Q.祈るときはなぜ手を合わせるんですか?

合掌は「実相印」とも言われ最高の印契です。一般的には相手を敬う態度ですが、大聖人仏法では御本尊を礼拝する時の姿勢です。正しい合掌の姿勢は御本尊様に向かって正座し背筋を伸ばして両肘を軽く両脇につけて胸の前で手のひらを合わせます。合掌の意義は『御義口伝』には「合掌に於て又二の意之れ有り合とは妙なり掌とは法なり」とあり、合掌の姿そのものが妙法を身体で表していてます。なので合掌はしっかりと両手を胸の前で合わすことが大切です。合掌して御本尊に向かう姿が事の一念三千の姿なのです。

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