創価ダメだしブログ

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『創価学会教学要綱』のトリックを暴く③【法宝・本尊】の誤謬

法宝・本尊について今までもチンケな解釈を繰り返していた創価だが、『創価学会教学要綱』でも相変わらず【南無妙法蓮華経】とは【宇宙と生命を貫く根本の法】(以下黒太字は創価学会教学要綱より引用)と説明している。この抽象的でボンヤリとした説明だから学会員は【南無妙法蓮華経】の体を具体的に説明できない。つまり【南無妙法蓮華経】について全くの無知であるということだ。【宇宙と生命を貫く根本の法】と言っていれば分かったつもりでいるだけ実に情けない連中だ。「法」は無自性で「理」であるから実際には存在しないというのが仏法の基本の教えなのである。この「法という理」を御本尊という「事」に顕わしたというのが創価教学の基本線であるが、理をいくら文字で顕わしてもその体は「理」であり「事」にはならない。天台大師が法華経の法理を文字に書いてもそれは「理」なのである。従ってその修行も「理行」となる。日興門流(大石寺)の正統教義は「事を事に顕した」のが事の法体(本尊)なのである。従って【南無妙法蓮華経宇宙と生命を貫く根本の法】という池田教学は根本的に誤謬しているのである。大聖人が

◆釈迦如来・五百塵点劫の当初・凡夫にて御坐せし時我が身は地水火風空なりと知しめして即座に悟を開き給いき(三世諸仏総勘文教相廃立)

と御妙判され、日寛上人が

◇若し当流の意は事を事に顕わす、是の故に法体本是れ事なり、故に事の一念三千の本尊と名づくるなり(文底秘沈抄)

と御指南されているように久遠元初の御本仏の色心二法の南無妙法蓮華経(事)を本尊として事相に顕すから、本尊は事の法体となり、法体が事であるからその修行も事行となる。故に事実としての一生成仏が叶うのである。決して南無妙法蓮華経宇宙と生命を貫く根本の法などという理性ではない。また大聖人は法華経の肝心たる南無妙法蓮華経を覚知したと本書では説明しているが、そうではなく大聖人は南無妙法蓮華経を所持していたのであって「覚知」したのではない。それは上記の『総勘文抄』の御文に明らかだ。さて本書では【本門の本尊とは南無妙法蓮華経を中心とする文字曼荼羅の本尊である】と述べている。ここが本尊に関する論説の最大のトリック(詐欺)である。

 

南無妙法蓮華経を中心とするとは御本尊の相貌の中央の題目の事であることは明らかだが、中央に認められている御文字は正確には【南無妙法蓮華経日蓮である。ところが『創価学会教学要綱』では題目の直下に認められている「日蓮」を意図的に隠蔽している。御本尊の中尊【南無妙法蓮華経日蓮とは人法一箇を示していて、大聖人仏法における事の一念三千の法本尊とは人法一箇をもって法本尊とするのである。つまり【南無妙法蓮華経日蓮で正しい法本尊(事の法体)になるのだ。単に南無妙法蓮華経の法だけを中心だと説明したら本尊は「理の一念三千の体」にしかならない。池田大作の破門後の指導にも、「妙法は大宇宙の根源の法である。その法を久遠元初以来、悟り、所持されているのが日蓮大聖人であられる。人法一箇の妙法であり、御本尊にも「南無妙法蓮華経 日蓮」とおしたためである。」(1994.2.8)とある。この『創価学会教学要綱』は池田の指導にすら違背する教義で本当の池田が監修したことすら疑わしい。このようなトリックを使った理由を考えれば、前回記事に書いたように「日蓮大聖人外し」からの創価仏への地ならし。また「三宝一体」を否定したいという思惑。そして全ての本尊は等しいという主張を正当化するためではないか。今の学会員は知っているかどうか分からないが御本尊の相貌は一様ではない。(この時点で全ての本尊が全同という創価の主張は崩壊する)。そして中尊の題目の直下に日蓮と認めらた本尊は大聖人の前期の御本尊の相貌にほとんどない。それは大聖人の一期の御化導の上からその時点の御本尊はまだ人法一箇の意義を示されていないからである。つまり本尊として究竟していないのだ。(御相貌については別の機会に詳しく書く)よって全ての本尊は同等ではないのである。中尊を【南無妙法蓮華経日蓮としてしまうと、そうではない相貌の御本尊が存在があるから創価の主張する全本尊が等しいというウソがバレてしまうから南無妙法蓮華経を中心とするというトリックを使ったと思われる。しかし創価本尊も本尊の中心(中尊)は【南無妙法蓮華経日蓮だ。この事実は学会員とて否定できない。つまり【南無妙法蓮華経日蓮を中心とする文字曼荼羅創価の現在の本尊なのである。(今後は本尊が変更されて日蓮御在判の文字は消えるかもしれないが)。もう一つの大きなトリックは、【大聖人御自身が顕された御本尊と、それを書写した御本尊は、全て本門の本尊と拝する】という部分だ。これは戒壇大御本尊を棄てて以来の創価の主張だ。大聖人御自身が顕された御本尊は全て本門の本尊であることは当然だが、日寛上人の

◇本門戒壇の本尊は応に是れ総体の本尊なるべし。是れ則ち一閻浮提の一切衆生の本尊なるが故なり。自余の本尊は応に是れ別体の本尊なるべし。是れ則ち面々各々の本尊なるが故なり(観心本尊抄文段)

との御指南にあるように本門の本尊にも総別の違いがある。これは御相貌に違いがあることからしても明らかである。そして問題のトリック(詐欺)は、それを書写した御本尊も等しく本門の本尊であるという部分である。書写の本尊をどう拝するのは創価の勝手だが、どうして書写の本尊も御真筆も戒壇大御本尊も同等なのか全く教学的な説明がない。文証もなければ理証もないのである。勝手に創価が書写本尊も等しいなどと邪義・己義を構えているだけに過ぎない。創価が書写の本尊を御真筆と等しくしたい理由はただ一つ。創価には大聖人御自身が顕された御本尊がただの一幅もないからである。ここが異流義新興宗教団体の悲しいところだ。会員も「大作御真筆の大謗法本尊」の出現を首を長くして待っていることだろうし、今回の創価教学も本尊の変更を最終目的としていると思われる。しかしこんな説明を納得し擁護する学会員の無知には呆れるばかりだ。これが創価教学のレベルなのである。もはや「教学」と呼ぶのも恥ずかしいではないか。書写の本尊がどうして等しく本門の本尊になるのか教学的に説明できる学会員がいるならぜひ当ブログにコメントが欲しいものだ。日蓮正宗の御歴代上人御書写の御本尊は本門の本尊であることは教学的な裏付けはあるが、創価本尊にはそれがない。だから現在の創価本尊を海賊版本尊風掛け軸と呼んでいる。教学的に何の根拠もない海賊版掛軸に題目を上げても何の意味もないことに早く気が付いてもらいたいものだ。

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