日本の伝統芸のと言えば、『能楽』『文楽(人形浄瑠璃)』『歌舞伎』が、日本三大芸能と呼ばれていますが、なかなか見にいくことはないですよね。私も『歌舞伎』は取引先の社長に連れられて一度みました。『能楽』はむかしよく行っていたゴルフ場に能舞台がありそこで年に何度か『能楽』の公演があり、ゴルフ終わりに3回くらい鑑賞した程度で、本格的な能楽堂に行ったことはありません。(ゴルフ場の能舞台もそれなりに本格的でしたが)『文楽』は生では見たことないです。ただ子供の頃にNHKでたまに人形浄瑠璃を放送してて、演目も全然わからなかったけど人形浄瑠璃が何故か好きな変な子でした。いまではYouTubeなどで配信されているのでたまに見ていますが、大人になったいまこそ生で見たみたいと思ったりします。『文楽』といえば以前、橋下徹が大阪市長の時に財団法人「文楽協会」への補助金凍結の方針を打ち出したことがありました。当時の橋下徹の『文楽』批判した発言に、「もともと芸能は大衆娯楽だ。大衆に受け入れられるかどうかが一番のポイント。大衆に理解してもらうのではない。大衆に受け入れられる文楽にしなければならない。」とうものがあるのですが、「稼げないものには価値がない」という橋下らしい発言です。確かに。『歌舞伎』と比べると、『文楽』『能楽』は地味で鑑賞するには面白みに欠けますが、『歌舞伎』は橋下のいうように大衆娯楽なのに対して、『能楽』『文楽』というのは、『田楽』から始まった神事芸能なんですね。(『能楽』というのは「能」と「狂言」のことです)『田楽』とはもともとは農耕の場所で行われた神事芸能です。『風流踊り』から始まった『歌舞伎』とは、その成り立ちから違うのです。『歌舞伎』は娯楽ですが、『文楽』『能楽』は神事なのです。ですから橋下のいう「大衆に受け入れられるかどうかが一番のポイント。」というのは、『文楽』『能楽』に対する認識としては稚拙なのです。娯楽なら大衆のニーズに合わせることは大切だし、それが出来なければ自然淘汰されても仕方ないですが、神事は大衆に受け入れてもらうような類のものではなく、大衆がそうした日本の文化を知り受け入れるものなのです。私見を言わせてもらえば『歌舞伎』は代わりになる芸能はあるけど、『能楽』『文楽』は替えの効かない守り伝えるべき文化なのです。神事や宗教とは、大衆に伝える方法は時代によって変わりますが、大衆に伝えるべき内容は変えてはいけない。そこを変えてしまうと神事や仏事ではなくなってしまいます。昨今では新宗教の創価学会が教義や行儀を、「時代にそぐわない」「世界に通用しない」などの理由で変えていながら、あたかも仏教を広めているように自賛していますが、本来の教えそのものを変えてしまっているので仏教を広めていることになりません。創価学会教という新興教団の教えを広めているだけです。それは日本の伝統宗教と日本人の伝統的信仰心を破壊する行為なのです。そこに創価等の新興宗教団体の根本的なカルト性を見出すことができるのです。このような傾向は新興宗教団体だけでなく伝統宗派と言われる仏教界にも蔓延しているところに情けなさと憂いを感じます。大衆に受け入れられなければその宗派や寺院は滅ぶかもしれませんが、その大衆に迎合して曲がった教えを説くならば、いち宗派いち寺院だけではなく仏教自体が滅んでしまいます。伝統とは全く変わらない事でなく、時代に合わせて変えるべき部分は変えて、変えてはいけない部分を守ることだと思います。ともあれ、『歌舞伎』は時代と共に変わっていいと思いますが、『能楽』『文楽』は、神事であるという事を忘れず伝統を守るべきです。『文楽』が『サンダーバード』みたいになったら『文楽』ではありません。「義経千本桜」とか「仮名手本忠臣蔵」のマンネリ・ワンパターンこそが日本の神事芸能の真骨頂なのです。
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