創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

創価学会員さん、本当に信仰の喜びを感じてますか?

幼児の時にオート入会させられている二世や三世の創価学会員には入会動機はないだろうけど、自分で入会した創価学会員には入会や学会活動を始めた動機があると思う。私は入会時は単なるしがらみでの嫌々入会だったけど、大きな苦難に直面した時に大聖人の信心に最後の望みを託そうと思ったのが発心の切っ掛けです。最初は勤行唱題からはじめ、我家に家庭訪問に来る男子部長が「大聖人の仏法は御書を読めば分かる」と言ったので、およそ1か月かけて御書全編読みましたが全く理解不能。そしたら今度はその男子部長が「会合に来れば分かる」というので会合に参加したのが私の活動家への第一歩でした。組織では大聖人の仏法はあまり教えてくれずモヤモヤしていましたが、とにかく全力で学会活動をやって役職もどんどん上がっていって、一緒に活動するメンバーとも親しくなって活動が楽しくなりました。でも今思えばそれは熱狂という種類のもので信仰の歓喜とは少し違っていた気がします。そんな私が「信仰の喜び」を感じるようになったのは日蓮正宗に移籍してからす。日蓮大聖人は、「苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思い合わせて南無妙法蓮華経とうちとなえいさせ給え。これあに自受法楽にあらずや。」(四条金吾殿御返事)と言われていますが、この御金言はずっと頭では理解できていたのですが、日蓮正宗で信心をするようになって心から理解できたと感じます。朝起きて仏壇と仏壇回りを掃除して、樒を洗って、お水と一緒に御本尊にお供えする。それだけで幸せな気分になるのです。創価時代にはあんなに大変だった五座三座の勤行も楽しいし、菩提寺大石寺に参詣すれば心が洗われます。そして創価時代のように組織の人間関係に煩わされることもなくなりました。「苦しい、辛い」と唱題してても、どこか嬉しいのです。御当代・日如上人猊下は、「『自受法楽』とは自分自身に法楽を受けるという意味です。法楽というのは法の楽しみですが、その反対は欲楽、つまり欲望の楽と言います。これは、我々には五欲などの欲望が色々とありますが、そういうものに支配された楽しみのことです。(中略)欲望的、快楽的な欲楽に対して、『法楽』すなわち法の楽しみとは何かというと、広大無辺なる妙法蓮華経の正理を悟る楽しみ、それを自らのものとする楽しみのことです。つまり、仏法を味わって善を行い、徳を積んで自ら楽しむこと、これが自受法楽ということであります。」と御指南されていますが、創価時代は「功徳があった」といってもそれは「欲楽」でした。いまは「法楽」を味わっているという心境なのです。創価員さんはそんな信仰の喜びを感じていますか?創価活動家時代の事は今でも楽しい思い出ですが信仰の喜びとは違った。日々会合に明け暮れ、選挙と新聞啓蒙で1年が過ぎ、振り込みと言う味気ない供養(税務)で年末を迎える。こうした創価活動は私が求める信仰でなかったのです。信仰の喜びは自受法楽にあるのに、創価で感じるのは仲間と一緒に熱狂する刹那的な喜びなので、楽しいけど虚しさもありました。『持妙法華問答抄』に、「生涯幾くならず思へば一夜のかりの宿を忘れて幾くの名利をか得ん、又得たりとも是れ夢の中の栄へ珍しからぬ楽みなり」との御金言があります。創価員の中には、「成功した」「幸福になった」などと体験を自慢する人間がいますが、信心しなくても成功したり幸福になっている人はゴマンといます。信仰の真の喜びや楽しみは『法楽』であって、それが無宗教の人達にはない信仰者だけが持つ幸福感であり、それこそが本物の信仰体験だと思います。信仰と無関係の選挙などに明け暮れて本当に信仰を喜びを体感できてない創価員さんは、今からでも遅くは無いので正宗に移籍して本当の『法楽』を味わう日々を過ごしてもませんか。

創価学会の退会方法(静かに創価を去るために) - 創価ダメだしブログ

▼一日「イチオシ」お願いします

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会 批判・告発へ
にほんブログ村


創価学会ランキング

にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村

PVアクセスランキング にほんブログ村