創価学会のアピールポイントのひとつとして、「創価学会の葬儀はお金がかからない」という謳い文句があります。今の時代、特にコロナ後は日本人の葬儀様式も様変わりして、家族葬や直葬など少人数の参列者で僧侶も呼ばずにリーズナブルな葬儀をする人が多くなっているそうで、葬儀屋も家族葬プランを販売し家族葬用の葬儀場が街中に目立つようになりました。以前このブログでも書きましたが、各地の創価の会館を会員に無料で葬儀場として開放すればもっとお金がかからないと思うのですが、創価会館は何故か葬儀には開放しません。自治会館すら葬儀で使えるところがあるのに、宗教団体の施設なのに葬儀に使えないのは「変なの」と思うのですが、もしかしたら近い将来は会館をセレモニーホールとして有料で貸し出すかもしれないとも思っています。人件費は地元の学会員を使うからタダなので、かなりの利益を望めるので創価ならやるかもしれませんね。さて創価学会葬は金がかからないというものの葬儀場などの費用は必要ですから葬儀代金が無料になるわけではありません。創価学会の「お金がかからない葬儀」というのは、僧侶や寺院に払う布施等が不要だと言ってるだけなのです。でもよく考えればそんな事は当たり前の話です。創価葬で読経するのは儀典部と言われるご近所の創価学会員で、この人達は在家の人間でいわば素人。そんな素人が僧侶の真似事をして読経・唱題しているだけすから対価が発生しないのは当然でしょう。むしろ在家の人間が葬儀で読経唱題して金銭を要求したら詐欺行為ですよ。創価の素人の儀典部が葬儀で読経唱題するというのは、医師免許を持っていない人間が「家庭の医学書」を読んだだけで医療行為を行っているようなもので、日本の法律では犯罪ありませんが、仏法上では犯罪行為に等しいのです。日蓮大聖人が「法華を心得たる人、木絵二像を開眼供養せざれば、家に主のなきに盗人が入り、人の死するにその身に鬼神入るがごとし(木絵二像開眼之事)」と御指南されているように素人学会員が葬儀で読経唱題することは、故人を二度殺すようなものです。【無料(タダ)より高い物はない】とはこのことです。私は葬儀は無理して豪華にする必要はないけど、だからといって安ければいいとは思いません。基本は葬式仏教肯定論者ですが、無宗教・無信仰の人達なら葬儀に僧侶等の聖職者を招かないことも納得がいくから家族葬や友人葬に反対と言うわけではありません。しかし創価学会員は仮そめにも仏教徒・信仰者を名乗っている人々です。それなのに素人の一般人に読経唱題をさせるような葬儀をする思考が分かりません。また創価本部はせめて宗教を生業としている本部職員が葬儀を執行するくらいの配慮を会員に対してすべきでしょう。近所の創価学会のオッサンに読経させる学会葬のどこが素晴らしいのですか?しかも創価学会員が自慢するほど一般人の創価葬に対する評価は高くありません。スーツ姿のオッサンの読経や、池田大作や創価学会を自賛する儀典部の挨拶に違和感を覚える一般参列者が多いのが実情です。だから「金がかからない」くらいしかアピールする所がないのです。【金のかからない創価学会葬】なんてアピールする乞食信心はしたくないとつくづく思います。日寛上人は、「かならず、かならず身のまづしきことをなげくべからず。ただ信心のまづしき事をなげくべけれ」(松任治兵衛殿御返事)と御指南されていますが、創価学会員の信心の貧しさは池田大作譲りの筋金入りです。こんな信心で本当に故人や自分が成仏できると思っているところがある意味でスゲェな。と思います。因みに日蓮正宗の葬儀で高額な供養や戒名料を請求されたという「大ウソ」を流すのもやめなさい。私は母の葬儀を日蓮正宗で出したけど、高額な供養や戒名料など請求されていません。そもそも正宗は他宗と違い葬儀代金は御僧侶に対するお礼ではなく、御本尊様に御供養するのですから御僧侶が信徒に「請求」など出来ないのです。
創価学会の退会方法(静かに創価を去るために) - 創価ダメだしブログ
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