創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

御講拝読御書研鑽(2023年11月・高橋入道殿御返事)

末法に入りなば迦葉・阿難等、文殊弥勒菩薩等、薬王・観音等のゆづられしところの小乗経・大乗経並に法華経は、文字はありとも衆生の病の薬とはなるべからず。所謂病は重し薬はあさし。其の時上行菩薩出現して、妙法蓮華経の五字を一閻浮提の一切衆生にさづくべし

今月の御講拝読御書は『高橋入道殿御返事』の御文です。仏教では仏を医師・教えを薬に譬える例はたくさんあります。法華経の寿量品にも【良医治子の譬え】が説かれています。(いまの学会員は寿量品の長行を読まないから知らないかもね)勤行で読む寿量品・長行の中の「譬如良醫。智慧聡達。明練方薬。善治衆病」から「其父聞子。悉已得差。尋便来歸。咸使見之」までの部分が【良医治子の譬え】になります。譬喩の内容は省略しますが、「譬如良医。智慧聡達。明練方薬。善治衆病。(譬えば良医の智慧聡達にして、明かに方薬に練じ善く衆病を治す)」の良医とは仏様のことで、御本仏日蓮大聖人のことです。「諸子於後。飲他毒薬。(諸の子後に他の毒薬を飲む)」の毒を飲んだ子供とは末法衆生。「是好良薬(是の好き良薬)」とは妙法五字、即ち御本尊の事です。日寛上人は『依義判文抄』で、◇若し爾らば是好良薬の文豈人法体一の本尊に非ずや。耆婆が薬童之れを思い合わすべし云云。と御指南されています。耆婆とは釈尊在世時代の名医で生まれた時から針と薬の入った袋をもっていたとされていて、これは何を表すかというと耆婆と薬童は一体であるということです。耆婆が薬を作ったわけでも薬を発見したの訳でもないのです。大聖人も同様で御本仏と妙法は最初から一体ですから南無妙法蓮華経は大聖人が考案したのでもなければ発見したわけでもありません。人法一体なのです。故に一閻浮提総与の戒壇大御本尊は人に約せば即日蓮大聖人なのです。因みに「一閻浮提総与」とは戒壇大御本尊の事で自余の御本尊は「一閻浮提総与」とはいいません。本文で妙法蓮華経の五字を一閻浮提の一切衆生にさづくべしといわれているのは、人法一箇の一閻浮提総与の戒壇大御本尊の事なのです。これで分かるように創価民がよくいう「題目(唱題)に功徳がある」というのは間違いです。「本門題目(唱題)」は、この譬えでいうなら「薬を服用する」ことです。重要なのは何の薬を飲むかということ。つまりどの御本尊を受持するかということなのです。大聖人が残された大良薬は戒壇大御本尊以外にないのです。そしてこの大良薬から処方されたのが書写の本尊。その処方は日興上人ただお一人に伝えられ以来、御歴代法主上人に唯受一人で伝えられています。何故、唯受一人に相伝したのかと言えば多くの人間に相伝すれば必ず「偽薬」をつくる人間が現れるからです。現代においてこの「偽薬(本尊)」を作りまた販売しているのが創価顕正会です。ですから創価顕正会員らは唱題をすればするほど毒を飲んでいることになる。まさに「誤服毒薬」の者です。創価・顕正で功徳があると思うのは「毒気深入。失本心故。」で、毒薬によって悩乱し幻覚を見ているだけに過ぎません。偽薬を飲んで病気が治癒する道理はありませんから。では大良薬たる戒壇大御本尊を受持し「病尽除愈」した我々法華講の次に為すべき事は何かと言えば御本仏に報恩感謝し「遣使還告」の者となって「毒気深入。失本心故。」の人々に大良薬を服すように勧めることです。つまり折伏・弘教です。御本仏・日蓮上人が授けて下さった妙法五字の大御本尊を広めることが法華講としての務めではないかと思います。

創価・顕正からの退会・正宗への移籍のご相談はメールでお気軽に。※正宗への勧誘目的ではありません。sokadamedasi@gmail.com

▼一日「イチ押し」お願いします!

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会 批判・告発へ
にほんブログ村


創価学会ランキング