創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

創価教学じゃない御書講義(2021年8月座談会御書・減劫御書)

法華経に云く「皆実相と相違背せず」等云云、天台之を承けて云く「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」等云云、智者とは世間の法より外に仏法を行ず、世間の治世の法を能く能く心へて候を智者とは申すなり

8月の座談会御書は「減劫御書」です。お盆なのだから『盂蘭盆御書』でもやればいいのにと思いますが『盂蘭盆御書』では選挙に結び付けるのが難しいですから比較的簡単に選挙にもっていける「減劫御書」の上記の御文にしたってわけですね?選挙はどっぷり世間の法ですからね。「選挙は信心」ですか。了解です(笑い)。さてまず最初に【減劫】についてですが、仏法では全てのものは四劫といって成・住・壊・空の4つ過程をから成るとされています。生まれて(成)安定・成長して(住)・壊れて(壊)・何もなくなる(空)の4つの過程でワンサイクルです(空の後は再び成に戻ります)その中の住劫には寿命が延びる「増劫」と寿命は縮む「減劫」ありこの二つの時代が各一小劫つづ繰り返します。そして現在はこの「減劫」の時代に当たります。因みに住劫は「一減一増」を20回繰り返し終わります(この長さが一中劫です)。他の成・壊・空劫この住劫と同じ長さです。さて、本抄の冒頭に、◆減劫と申すは人の心の内に候、貪瞋癡の三毒が次第に強盛になりもてゆくほどにと書かれていて【減劫】の時代とは衆生の貪瞋癡の三毒が増していく時代になります。ですから最初は外道や小乗・爾前の仏教で世の中を治めることができましたが現在はそのような小法では衆生三毒を直せないどころか却って三毒が増してしまうと書かれています。そこで今回の御文ですがポイントは【世間の治世の法】ということです。当然これは政治や経済といった【世間の法】でありません。

◆仏法やうやく顛倒しければ世間も又濁乱せり、仏法は体のごとし世間はかげのごとし体曲れば影ななめなり(諸経と法華経と難易の事)

との御妙判にあるように、【世間の治世の法】とは世間を治める法のことであり仏法の事を指します。【能く能く心へて】とは時と機根を見極めるということです。【減劫】の今の時代において衆生にとって一番最良な仏法を見極めて衆生に与えていく。それが智者であるということです。いうまでもなくその智者とは別していえば御本仏・日蓮大聖人のことです。【智者とは世間の法より外に仏法を行ず】とは化義の面から言えば創価も言う「仏法即社会」であり生活のなか社会のなかで仏法を行じていく。という解釈ですが、化法の面から言えば大聖人の仏法だけが世間法と冥合した仏法であるということです。例えば念仏は娑婆世間と離れた極楽浄土を説き、禅は個人の成仏だけを目指し、律は末法今世では到底無理な持戒真言は根拠のない祈祷を説きます。もちろんこれ以外の宗派も似たようなものです。例えそれらの宗派が世間の中で世間の人達に教えを広めたとしても、それは上辺だけで根本的には世間法の中で仏法を行じていることにはなりません。何故ならば大聖人の仏法以外の法体は「事の一念三千」ではないからです。「事の一念三千」でなければ本当の意味での「仏法即社会」にはならないのです。では大聖人の事の一念三千の体は何かと言えば、大聖人の色心二法である本門戒壇大御本尊です。智者とは別して言えば「戒壇大御本尊(日蓮大聖人)」であり、総じていえば戒壇大御本尊を信じる弟子檀那のことをいいます。ですから戒壇大御本尊を信じ行学に励む僧俗は普通に毎日過ごしていること自体が「世間の法の上で仏法を行じている智者」なのです。逆に言えば戒壇大御本尊を捨てた創価民は「世間法の外」で仏法モドキを行している愚者といえます。ましてや選挙活動を仏法だと勘違いしている活動家は愚の骨頂といえるでしょう。さて、【智者とは世間の法より外に仏法を行ず】の文ですが、創価版御書には「おこなわず」というフリガナが書いてありますが、大石寺版では「行ず」とだけ書いてありフリガナはありません。昔、日顕上人がこの文を会通して「智者は世間の方の外で仏法を行じる」と講義されたのを日顕上人の誤読であると批判する創価民がいます。(フェイクあたりの受け売りですけど)これは誤読でもなんでもありません。「行ず」とは「行わず」と「行う」という2種の会通があるのです。長くなるので今日は詳しく書きませんが、修行には自行化他があることをきちんと理解できれば日顕上人が「智者は世間の方の外に仏法を行う」という会通の意味が分かると思います。もっとも非相伝の異流儀・邪義我見の創価民には一生分からないでしょう。創価民は世間に迎合した仏法モドキを行じているのがお似合いです。ともあれ学会員さんに言いたいのは政治や選挙で世の中を良くしようとするのは大聖人仏法の教えではありませんし当然広宣流布でもありません。そもそも、このコロナが蔓延している状況で夏休みに友好拡大(ようするに選挙のF取りね)を推進する会員の健康や命より公明党の支援を優先させるような団体が大聖人仏法を信仰している団体であるわけないでしょ。大聖人は命を狙われていた四条金吾に出歩くなとご指南されています。危険を冒して外に出て選挙の支援拡大しろとかいま大聖人がご存命ならそう言うと思いますか?コロナが蔓延している最中に選挙支援の移動。これこそ世間の法を無視した活動ですよ。

▼「一日イチ押」お願いします。


にほんブログ村


創価学会ランキング