創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

仏法用語をまとめて解説。

寝言丸さんから「仏法用語」についての質問を頂いただきましたが、ひとつひとつ細かく解説していくとマニアックになっていまい却って分かりづらくなってしまうので簡単にまとめて解説します。質問を頂いた仏教用語はどれも日蓮大聖人の法門を正しく理解する上では大切なワードです。1.【教相・観心、文上・文底 、 附文・元意 、隱・顕 】は全て同じ意味です。「教相」とは経文に書かれているそのままの意味のことで、これを「文上」といい、表に現れているで「顕」、文に基づく解釈なので「附文」といいます。対して「観心」とは経文上に直接的に書かれていない義であり、「文底」といい、経文上に顕れていないので「隠」で「元意」といいます。大聖人の南無妙法蓮華経法華経の文上に書いてある文字ではなく法華経の文底に秘沈されていてそれが大聖人の本当の意(元意)です。その観心の妙法を顕したのが大聖人の御本尊ですから「観心の本尊」なのです。天台の観念観法も観心の修行とさていますが天台の観心の修行は法華文上(附文)の修行なので実際には教相の修行なのです。そしてここからが大切な部分になりますが、御書などを読むとき観心に即して教の意味(教相)を判断することを「依義判文」(義に依って文を判ず)といい、それが大聖人の御書の正しい読み方です。そしてこの義(観心)の内容は日興上人以来の歴代法主上人に相伝された口伝法門の中にしか在りません。御書の教相に上に法体に関する重要な法門は書かれていないです。2.【一往・再往 、当分・跨節】のふたつも似たような意味の用語です。「当分」とは限定した範囲の中での解釈で「跨節」はその範囲を跨いで更に広い範囲の中での解釈のことで、「当分」は「一往」の説であり、「跨節」は「再往」の説です。例えば本迹相対ならば法華迹門は当分で本門は跨節。種脱相対になると脱益(文上法華経の本迹)当分で下種(南無妙法蓮華経)は跨節となります。3.【総・別】は前の【一往・再往 、当分・跨節】と同じように教相の判釈によく使われる用語です。「総」とは全体に通じる一往の意味で「通」という言葉を使うこともあり一般的な意義。「別」とは総に含まれる特別な再往・肝要の意義です。また当体義抄に説かれる「両重の総別」のように教相の上から一往の総別を立て、さらに「別」の中に再往の総別を立てて肝要の義を顕す場合もあります。他にも全てを束ねて「総」という場合もあります。例えば「総体の本尊」「総体の受持」という使い方です。4.【外用・内証】「外用」とは外面に現れた事象(顕)で「内証」は内面(隠)の事です。大聖人仏法に即せば「外用」とは衆生を教化するための「用」なので変化します。それに対して「内証」は常住不変です。御本尊の相貌が違うのは相貌は「外用」の姿だからです。従って本尊義で重要なのは相貌ではなく内証なのです。戒壇大御本尊の相貌はコピーできても内証はコピーできません。内証が欠けたらそれは本尊(本仏)ではありません。創価本尊が本尊たり得ないのは内証不備だから御本仏の用(働き)が無いからです。御本尊書写というのは相貌を模写するのではなく内証を移すことで内証を移すことを開眼というのです。5.【能・所】「能」とは主体で「所」とは客体です。ザックリいうと「能」は「~する側」で「所」は「~される側」という意味です。では御本尊は書写本尊が「能」で戒壇大御本尊(書写される側)が「所」なのかと疑問がわく人もいると思いますが、それは御本尊書写を単なる「書き写し」と思っているからです。御本尊書写とは御本尊建立なのです。従って戒壇大御本尊が「能」であり書写本尊は「所」となります。6.【開・合】は多義を一つにまとめるのが「合」で、一つのものを多義に展開していくのが「開」です。大聖人仏法で重要なのは三大秘法の開合で、それを否定したのが創価学会です。7.【与・奪】とは「与」とは一往相手の主張を受け入れるということで、「随他意」「摂授」の立場で、「奪」とは「随自意」「折伏」という立場の事をいいます。8.【仏意・機情 】「仏意」とは仏の本意であり「機情」とは衆生の機根に対応するという意味で「随自意」「随他意」と同様です。大聖人仏法の御書は「機情」の御指南であり、大聖人の「仏意」は一大秘法です。従って創価の言うよに大聖人の法門法義が御書に全て書かれているというのは間違いです。御書はあくまでも「機情」「随他意」の法門であり「仏意」ではありません。「仏意」とは法体のことで、それは戒壇大御本尊と共に御歴代法主上人に唯授一人血脈相承されています。故に法体である一大秘法の戒壇を棄てた創価の連中がいくら御書を読んでも「仏意」を知ることはできないのです。まさに彼らは「随他意」の法門を信仰している権経の信者と言えます。「随他意」の法門は聞く側にとってはどうとでも解釈できる法門ですから御書から正しく仏意を知るには御歴代法主上人の御指南によらなければなりません。以上で寝言丸さんからの質問に簡単に回答しましたが、これらの立て分を弁えて御書の御文等の法門を判釈することを会通するといいます。しかし我々信徒が自力で会通すれば池田や浅井のように計我謗法に陥ります。従って我々法華講員は御当代猊下はもとより御歴代法主上人の御指南を学び正しく法門を理解することが肝要になります。

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