創価ダメだしブログ

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御書に書いてない⁉池田創価のインチキ法門⑤「宿命転換」

『宿命転換』という言葉は創価時代に耳にタコができるほど聞いたが日蓮正宗に移籍してからはほとんど聞かなくなった。創価学会員は「宿命転換が日蓮大聖人の仏法」とシラ~っと言っているが、『宿命転換』という言葉は御書に全く書いていない池田創価のインチキ法門ある。同じインチキ法門の『人間革命』とセットで使われることが多い。創価の説明では宿命とは過去世において自分が行った行為の結果が今世に現れたものらしいが、【宿命】という言葉が御書に登場するのは、「天眼なければ、一紙をもみとおすことなし。宿命なければ、三世を知ることなし」(閻浮提中御書)等で、これは六神通のひとつである宿命通(前世を知る神力)のことで創価のいう意味とは全然違う。「御書に書いていなくても御書の意義を分かりやすく言っている」という言い訳は見苦しい。創価学会員は「御書に全てが書いてある」という愚かな主張をし、血脈相承や本尊開眼、挙句の果てには戒壇大本尊までも「御書に書いていない邪義」と否定し、正宗・法華を誹謗しているのだから、自分達だけ「御書に書いていない」ことを言うのは自家撞着もいいところである。『宿命転換』に近い大聖人の法門は『変毒為薬』だが、もし『宿命転換』と『変毒為薬』を同じ意味で使っているなら御書に書いていない言葉を使わず『変毒為薬』と言うべきだし、違う意味で使っているなら『宿命転換』とはどんな法門で『変毒為薬』とどこが違うのか御書で説明すべきである。池田は「誰しも宿命はある。しかし宿命を真っ正面から見据えてその本質の意味に立ち返れば、いかなる宿命も自身の人生を深めるためのものである。そして宿命と戦う自分の姿が万人の人生の鏡となっていく。すなわち、宿命を使命に変えた場合、その宿命は、悪から善へと役割を大きく変えていくことになる。『宿命を使命に変える』人は、誰人も『願兼於業』の人であるといえるでしょう。だから、全てが、自分の使命であると受け止めて、前進し抜く人が、宿命転換のゴールへと向かっていくことができるのです」(『御書の世界』第2巻)などとインチキ指導をしているがこの指導は理論的に破綻している。【宿命を使命に変える人は、誰人も『願兼於業』の人】であるならば『願兼於業』の人になった時点で宿命転換は完了しているのに【宿命転換のゴールへと向かっていく】とは意味不明である。そもそも日蓮大聖人の仏法は『当位即妙・不改本位の即身成仏』なのだから、戒壇大御本尊を信受したら更にそこから宿命転換も人間革命もする必要はない。『転換』『革命』とはそれまで正法に帰依してなかった人間が戒壇大御本尊を信受することで、それ以外の転換も革命も無い。また謗法が転換して善業になって成仏するという法理は大聖人仏法にはない。謗法は消滅させるものであって謗法をそのまま善業に転換することはできない。従っていま創価学会員のすべきことは戒壇大御本尊を棄てるという大謗法の罪業を戒壇大御本尊にお目通りして懺悔滅罪することである。それが創価学会員に残された唯一の『宿命転換』である。「選挙で宿命転換」などというバカなことを言っている創価学会員が多々いるが選挙でどうして謗法が消滅するというのだ。もし選挙で宿命転換ができるならなんでSGIメンバーに選挙をやらせてあげないのだ。大聖人仏法において選挙で宿命転換(変毒為薬)できるなどという法門はどこにもないのだよ。

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