創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

『宗祖御遷化記録』と『二箇相承』に関する話。

当ブログの読者さんから『宗祖御遷化記録』の【弟子六人の事不次第】の切文で二箇相承を否定を否定する言説についての質問を頂いたので反論・破折しておく。『二箇相承』を否定し日興上人への唯授一人血脈を否定する疑難は今に始まったことではない。「二箇相承が存在しなかった」ことを証明することは困難だが「二箇相承が存在した」という文証は沢山ある。一例を挙げれば「興上人一期ノ弘法ノ付嘱ヲ受ケ、日蓮日興ト次第シテ、日興ハ無邊行ノ再来トシテ末法本門ノ教主日蓮ガ本意之法門直授タリ、徳治三年九月二十八日」(本尊抄得意抄副書・聖滅27年)、「日蓮聖人之御付嘱弘安五年九月十二日、同十月十三日御入滅の時の御判形分明也」(康暦二年六月四日、妙蓮寺日眼・五人所破抄見開・聖滅99年)などこの他にも多数文証が残っている。これに対して「二箇相承が存在しなかった」を証明する文証はほとんど無いに等しい。そこで苦し紛れで引用するのが件の『御遷化記録』の【弟子六人の事不次第】の文で【不次第】と書いてあるから六老僧は全員平等に大聖人から血脈相承をしているというのが身延派や反正宗の主張である。この程度のことを大袈裟に取り上げて『二箇相承』を否定する連中の無知・無知性には呆れるばかりだ。『御遷化記録』はこ不次第という言葉に続いて「一、蓮華阿闍梨 日持 一、伊与公 日頂 一、佐土公 日向 一、白蓮阿闍梨 日興 一、大国阿闍梨 日朗 一、弁阿闍梨 日昭」と書かれている。この順番を見よ。不次第どころかちゃんと法臘の順番(新しい順)になっている。それにも関わらず【不次第】とわざわざ書かれた理由を日淳上人は「六弟子を定めて法臘の順に記録なされたが、それは自ら順位を示すものである。然るに大聖人の思召しは平等にあらせられた故に、わざわざ「不次第」と御書入れがあつたと拝するが妥当であらう。しかしもう1歩進んで考へると「不次第」と仰せられしは上を抑えて下を上げてをると解釈できる。さすれば、次第不順で相違を法臘以外に御認めなされたからといふべきである。」とご指南されている。この御指南が正鵠を射ているだろう。六人は本弟子としては平等であったが法臘による区別は当然ある。そこに遇えて【不次第】と記されたのは法臘以外の上下関係を暗示したものであると考えるのが妥当である。法臘順で言えば日興上人は第3位である。その第3位である日興上人に血脈相承をしたからこそ【不次第】とわざわざ書き込まれていると解釈することが理屈に合う。単に本弟子六人が平等ならば法臘順に書かれている『御遷化記録』にわざわざ【不次第】と書く必要はない。また本弟子の制定と唯授一人血脈相承の意義は全く違う。本弟子6人を制定したのは教団の秩序を守りまた各自の有縁の地で弘教するのが目的であり対して唯授一人血脈相承は大聖人仏法の令法久住が目的である。そもそも唯授一人相承は仏教の基本の相承である。釈尊も天台も伝教も全て唯授一人の相伝をしている。大聖人だけが釈迦・天台・伝教と違う相伝をする理由が全くない。また日興上人も日目上人に対して唯授一人相承をしている。大聖人は唯授一人相承をしていないなら今度は日興上人が大聖人と違う相伝をしたことになるが到底それは理屈に合わない。更に日興上人も大聖人同様に本弟子6人を制定したが大聖人の例に準じて本弟子6人を定められが、『弟子分本尊目録』での順序は日目上人が筆頭ではない。日興上人のこれらの言動を鑑みれば大聖人から日興上人に唯授一人相承があったと考える方が道理に合う。そして五老僧の行動を見てみると彼らは日興上人が身延の別当として晋山したことに対し誰も異議申し立てをしていないどころか身延を避けていた。後に日向が入山するが日興上人より身延の学頭の任命を受けている。六老僧が平等ならば日向が学頭職を甘受することも、日興上人が日向を自分より下位の学頭に任命することもあり得ない。このように、文・理・現の三証において『二箇相承』が存在したことは十分に論証できる。それに対し『御遷化記録』のたった一文をもって『二箇相承』の存在を否定するのは実に愚かで反知性と言えよう。日蓮正宗に対する疑難は大いに結構だしむしろ望むところだがもう少し高いレベルの疑難を挺してもらいもである。

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