清澄寺と申す寺の諸仏坊の持仏堂の南面にして午の時に此の法門申しはじめて今に二十七年弘安二年[太歳己卯]なり、仏は四十余年天台大師は三十余年伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う、其中の大難申す計りなし先先に申すがごとし、余は二十七年なり其の間の大難は各各かつしろしめせり。
私のお寺ではコロナの緊急事態宣言中は信徒の御講への参詣を中止していましたので今月は約3カ月ぶりの御講参詣になりました。さて今月の御講拝読御書は上記の『聖人御難事』の冒頭の御文。弘安二年の本門戒壇大御本尊が大聖人の出世の本懐であることの文証である一節です。創価も以前は(破門後も)この御文の「27年」の主体は「出世の本懐」であると言っていましたが2014年に戒壇大御本尊捨てるといきなり「27年」とは大聖人が大難に遭われた年数であると、この「27年」の主体は「大難」であるという身延流に豹変して現在に至っています。中学生程度の国語力がこの御文を読めば大聖人が立宗から27年目にして出征の本懐を遂げる(遂げた)と読むのですが戒壇大御本尊を否定したい身延・創価は文意を捻じ曲げて読むから困ったものです。私がいつも言う「御書を自分達の都合に合わせて会通する」のが創価の言う「御書根本」です。そんな創価は大聖人の出世の本懐は、
▶「出世の本懐」の本義は、三大秘法を確立されたとともに、立宗以来二十七年目にして、大難に負けない信徒が現われた、という民衆仏法の確立である。
だそうです(嘲笑)大聖人は出世の本懐について、
◆あまりにありがたく候へば宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ、子にあらずんばゆづる事なかれ信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ、出世の本懐とはこれなり。(阿仏房御書)
と御本尊が出世の本懐であると明言しています。創価理論だと「御本尊を書き表した時」と「民衆仏法を確立した時」と2度出世の本懐があったことになります。よくこんな子供騙しの理論を主張できるなぁと寒心します。創価の事はさて置いてこの御文はいよいよ大聖人が出世の本懐たる本門戒壇大御本尊を建立されるという密示・宣言を門下一同に示された御文です。その機縁となったのがご存知の通り「熱原法難」です。「熱原法難」については別記事にしたいと思いますが、この法難で熱原の農民信徒だった神四郎、弥五郎、弥六郎の三名が斬首され殉教したのを機縁に大聖人は出世の本懐である戒壇大御本尊を建立したのです。仏が法を説く時にはその法に相応しい相手が必要です。熱原三烈士は正しく末法万年の一切衆生を成仏せしめる本門戒壇大御本尊を説く(建立する)に相応しい相手なのです。入信間もなく大聖人とお目通りしたこともない一通不文の農民信徒が命を賭してまで信仰と貫いた。最大深秘の戒壇大御本尊を説くのにこれ以上の対告衆はいません。またそれまでも大難は大聖人が自ら受けられた難で、いわば仏界即九界です。熱原三烈士の逢難は一信徒が受けた九界即仏界の境涯です。この「熱原法難」こそが十界互具・一念三千が事実として現れた姿であり、事の一念三千の当体である本門戒壇大御本尊を建立するに相応しい時なのです。私達法華講はこの大聖人の出世の本懐である戒壇大御本尊を信受し、その分身散影の御本尊を下付していただいているのですから非常に有難い事であると同時に御本尊をいただける資格があると大聖人はもとより熱原三烈士にも思ってもらえるような信心をしていかないといけないと思います。惰弱な信心をしていたら三烈士に顔向けできませんからね。三烈士に恥じないような信心をしていこうと決意も新たにしています。
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