創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

100日唱題行が終わりました。

9月7日から始まった100日唱題行が昨日終わりました。1日2時間唱題を100日間。昨晩の8時過ぎに最後の2時間唱題を終えてついに満行。やり切った感がありましたね~。1日2時間というのがポイントでした。1週間で14時間なら休日の時にまとめて唱題すればいいのだけどそれだと1日2時間にならない。私は唱題行が始まる前までは1日1時間から1時間半の唱題をしてたからあと30分延ばせばいいから楽勝かなと思っていましたが、外出や外泊の日の2時間は結構大変でしたね。朝から出かけるときは出かける前に2時間唱題をしてから外出したり外泊の時はホテルの部屋で唱題したりという時もあったけど1日2時間100日間をクリアしました。いままでこんなに唱題したことないだろうって感じでした。創価では唱題会はやるけど100日唱題行なんてやらないしね。とにかくやり切ったことに充実感はありました。「毎日2時間も題目上げたってそんなに祈る事なんてないだろう」って思う人も大勢いると思うけど、唱題って別に「願いを祈る」ために唱えるわけではないんですよ。少し前にMCさんへのコメントにも書いたけど、唱題は「願いを叶える呪文」じゃなくて「成仏するための修行」なんですね。私もそれに気が付くまでは唱題と言うと何か悩みがあったり願いが有ったりを祈る事だとばかり思ってました。だからあまり題目が上がっていなかったし題目上げているときは「お願い事」ばかりしていました。でも唱題は「願掛け」じゃなくて「修行」なんだと気づいてからは唱題行も楽しくできるようになりました。創価男子部時代に部員さんからよく「悩みがないから題目があまりあがりません」と言われたけど、その当時は「悩みがない?折伏もできていないのに悩みがないのか!」なんて言ってましたけど(笑)いまならそんなこと言いません。「お題目は成仏の為の修行なんだから悩みがあるとかないとかは関係ないんだよ」と優しくいいます。功徳の有無も関係ありません。あくまでも成仏への修行ですから功徳があっても無くても、悩みがあってもなくても修行するわけです。その修行のオマケとして功徳が存在するだけの話で最初から功徳狙いの行為は修業とはいえません。だから何の苦悩がなくても唱題はするものです。偉そうに言っていますが私も創価時代には変な題目をあげていました(テヘペロ)今は唱題行とは「総体の修行」だと捉えています。「別体の修行」とは、参詣・登山、ご供養、折伏ですが勤行唱題はそれら別体の修行を全て含む総体の修行です。その理由はまた近いうちに書きますが、唱題行は成仏する修行であると捉えられると、苦悩や功徳があってもなくても唱題行を積極的に行うことができますし、創価民のように「池田先生との師弟誓願の祈り」などという莫迦げた祈りはしなくなります。これもそのうち書きますが「池田先生との誓願の祈り」は祈り方として全く間違っているので創価民の人で幹部から「誓願の題目」なんていうインチキ指導を受けて実践している人はやめた方がいいです。そうやって祈っていたら【絶対に祈り・願いは叶いません】これは教学的に間違いありませんから。というわけで100日唱題行を無事終えることができましたが今日からまた心機一転「総体の修行」である唱題行を実践してきたいと思います。全国の法華講員の皆様も100日唱題行お疲れ様でした!


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