但し大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし、
火に薪をくわへんにさかんなる事なかるべしや、
大海へ衆流入るされども大海は河の水を返す事ありや
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今月の座談会御書は「椎地四郎殿御書」です。
学会版の御書では大聖人40歳の時の御書になっていますが
現在の大石寺版では60歳のときの御書に改正されています。
御書の研究が進み色々と改正されいることが
まぁ残念ながら創価御書はずっと変更することもないでしょう。
その一点だけとってみても創価が大聖人仏法と遠い存在になったことがわかります。
もっとも、今の学会員さんは御書は必要ないから修正しなくても問題ないでしょうね。
今月の座談会にもどうせ大白だけ持って御書は持っていかないんでしょ(笑)
さて今回の拝読範囲ですが
但し大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし、
の部分は、
◆凡夫の仏になる又かくのごとし、必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退くこれなり(兵衛志殿御返事)
と同じ意味です。
信心をしていて様々の苦難を受けるのは自身の信心が正しい証明なのです。
それは何を意味するかいえば成仏できることを意味します。
しかもそれらの苦難とは護法の功徳力で転重軽受しているわけです。
本来ならばもっと苦しまなければならい所を軽くすんでいるわけですから
賢者は喜び、逆に愚者は疑い起こし退転するという過去世と同じ過ちを犯すわけです。
といっても、苦しい辛いっていうのは嫌です。
「過去世の謗法なんて知らね~よ」って思う事も度々あるし
「信心しているのに、なんでこ~なるの」って思うってしまうのが凡夫というモノです。
私など苦難があると年中そんなことをふと思ってしまいます。
そんな時にいつも思い出すのが
◆此八種は尽未来際が間一づつこそ現ずべかりしを日蓮つよく法華経の敵を責るによて一時に聚り起せるなり
譬ば民の郷郡なんどにあるにはいかなる利銭を地頭等におほせたれどもいたくせめず
年年にのべゆく其所を出る時に競起が如し斯れ護法の功徳力に由る故なり等は是なり、(佐渡御書)
この御文です。
病気・経済苦など様々な苦難は、本来は尽きることのない未来までひとつづつ続くわけです。
今世は病気、来世は貧乏、その次は・・・といった具合に未来にわたって続いていくわけです。
これらは過去世の謗法が原因なのですが、正しい信心に出会い信仰してくならば
未来における苦難を軽く今受けているんだと。
いまの目の前の苦難を乗り越えれば明るい未来が待っている。
そんな想いで私は題目を上げています。
賢者はよろこび愚者は退くこれなり
強盛の信心弥弥悦びをなすべし
と大聖人が言われるのはこのような意味があるからです。
さてここで問題になるのは自身が「法華経の行者」たる信心をしているかどうか?です。
苦難があるから「信心が正しい」のではありません。
「正しく信心している」から苦難が起こるのです。
ここを勘違いするのが創価活動家達です。
今回拝読箇所の冒頭ぼ
の一文をよくよく心に留めてください。
まさか、大作センセとか自分たち学会員だ。なんて驕慢を起こしてないですよね?
日蓮大聖人の弟子旦那となることが条件なのです。
つまり法華経の行者を信じることが法華経の行者の一分なのです。
そして法華経の行者の当体とは
◆本尊とは法華経の行者の一身の当体なり(御義口伝巻下)
とあるように御本尊であり、その御本尊の究極とは日寛上人が
◇就中弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟中の究竟、本懐の中の本懐なり。既にこれ三大秘法の随一なり。況や一閻浮提総体の本尊なる故なり。
とご指南されている本門の戒壇大御本尊です。
戒壇大御本尊こそが無二の法体であり、法華経の行者大聖人の色心二法なのです。
それが日興門流であり、日興門流こそ日蓮大聖人の弟子旦那なのです。
それ以外に日蓮大聖人の弟子旦那は存在しません。
戒壇大御本尊を信受しない学会員は、大聖人の弟子旦那ではなく法華経の行者ではありません。
要するに「邪教」を信じている者にほかならない。
ゆえに今の「カッカカツドウ」をしていて起こる苦難は「三障四魔」ではありませんし
「護法の功徳力」による転重軽受もありません。
仏法的解釈をすれば、過去世どころか今世の謗法による現象です。
むしろこれから「尽未来際が間」苦しみ続けるということでしょう。
法華経の行者の当体たる大御本尊を捨て悪用する罪は重いのです。
創価の信心をして大難がきたなら「強盛の信心」をしなければいけません。
「強盛の信心」とはどこまでも大御本尊に信を取ることです。
「創価学会は正しかったんだ」なんて悦んでいるのは「愚者」なのです。
今月の御書を何度も読み考えてくださいね。
大御本尊を捨てるのが「法華経の行者」なのか?
大御本尊を信じ抜くのが「法華経の行者」なのか?
一体、どっちですか?
そして、あなたはどっちなんですか?