元職員3人組さん、宮川氏、波田地氏について実名で報道して批判したが
元職員さんはともかくとして、宮川氏・波田地氏の実名を挙げてあのような記事を書くのは
よくよく考えると、ソレって名誉毀損になるんじゃないかと思う。
彼等は創価を批判しているだけの単なる私人にすぎない言うならば一般市民だ。
その一般市民の実名を挙げて、あたかも彼らが「罪人」であるかような一方的な報道はまずいんじゃないか?
創価新報はネット配信もしているし
早速、頭の悪そうな創価民がこの記事を引用したりリンクして
ブログやSNSへ投稿もしている。
これらの行為は十分名誉毀損にあたると思うのだ。
以前、俺の会社の顧問弁護士と少し雑談した時に
「名指しで誹謗中傷をネットに書き込まれた時には名誉毀損で訴えたほうがいいですよ」と言われたことがある。
名誉毀損とは、その書かれた内容が事実であっても成立するらしい。
つまり、創価新報に書かれていることが「事実」であっても
それによって社会的信用が失墜したりするようなことがあれば
十分名誉毀損に該当し刑事告発すれば刑事事件にもなるということだ。
俺が新報の記事を読む限りでは名誉毀損として十分な内容だと思う。
そもそも、一般人のしかも元会員を実名を挙げて罪人のごとく批判するということが意味不である。
言われっぱなしがイヤという気持ちもわかるが
ならば、もう少しキチンと理論的に反論をすればいいはずなのに
新報に書いてあることは「創価組織を分断しようとした自分勝手で我侭な人間ども」
的ないつものような創価節だけだ。
「相手の主張のここが間違っている」という反論ではなく
ただただ相手が「いかにひどい悪人か」ということに終始している。
しかもその「悪人」の定義はあくまでも創価内部の基準であって、一方的な話だ。
これが、日頃から「人権」だとか「全ての人に仏性がある」だとほざいている宗教団体の機関紙だとうのだから驚きである。
新報の記事の内容は「人権感覚ゼロ」だ。
いや「「人権蹂躙」といって方がいいだろう。
そして、こんな「人権感覚」のない新報をありがたがって
新報に書いてあることを鵜呑みにしてはしゃいでる創価民もまた「人権」とはほど多い人種だろう。
創価森の菊川氏が正宗を「日顕宗」というのは、自分が言っているのでなく新報にそう書いてあるから使っている。
と自分のブログで告白しているが
こんな機関紙を読んでると人間性が歪められてしまうことを菊川氏をみるとよくわかる。
こういう連中が、「自他ともに幸福になる」とか「世界平和」とか口にしているのが創価の実態だ。
創価のいう「幸福」とか「平和」というのは、自分たちに単体する勢力や人間をとことん排除することだ。
反対者・敵対者を排除することが彼らの「戦い」であり
彼らだけの「平和」と「幸福」なのである。
完全に大聖人仏法と相反するのが今の創価なんだな。
「人権無視」のこの記事ひとつ読んでも今の創価の腐敗臭が鼻につく。
真面目に大聖人仏法を信仰したいと思っている学会員さんは
そんな創価臭が身に染み込む前に早く離れてくださいね。
そうそう、三人組さん、宮川さん、波田地さん