日本文化の三道の中のひとつが『茶道』。みなさんは『茶道』をなんて読みますか?「さどう」それとも「ちゃどう」ですか。実はどちらも正解なのです。表千家では「さどう」といい、裏千家では「ちゃどう」といいます。武者小路ではどっちでもいいそうです。私がこのことを知ったのは中学生の時です。同級生のモブ女子『茶道』を「ちゃどう」と言っていて「”さどう”でしょ」と誰かに指摘されたところ「裏千家では”ちゃどう”っていうんだよ」と教えてくれました。実はそのモブ女子のお母さんがお茶の先生で彼女の家は『茶道教室』だったのです。私もそれまではずっと「さどう」だと思っていたので目から鱗でした。それから彼女は【裏千家さん】というあだ名がつきモブ女子から【裏千家さん】になりました。私は裏千家さんと席が近くて雑談で『茶道』の事を色々と教えてもらったり、友人数名で裏千家さんの家に招待されてお茶会をしてもらったことがあります。裏千家さん自身がお茶を点ててくれたこともありました。もっとも私の楽しみはお茶でも裏千家さんでもなくお菓子でしたが点前を見ているときは子供ながら自然と背筋が伸びましたね。茶道=千利休のイメージだと思いますが、お茶が日本に伝来したのは平安時代と言われます。鎌倉時代になり栄西禅師が中国から禅宗とお茶の種を持ち帰り抹茶法の習慣を伝えました。そして禅宗寺院を中心に徐々に日本国内に広まります。また栄西禅師が『喫茶養生記』を源実朝に献上したことから武士階級にもお茶は広まります。南北朝時代になるとお茶は薬ではなく飲料として庶民にも広まり喫茶文化が定着してきますがこの頃はまだ娯楽性の高いものでした。これに対して大徳寺・一休宗純に禅を学んだ村田珠光は禅の教えと茶道の修行を繋げて『茶禅一味』を元にして「わび茶」を創案し弟子の武野紹鴎によって推進されます。そして安土桃山時代になると武野紹鴎の弟子の千利休によって現在の『茶道』の形となる『茶の湯』が完成しました。江戸時代には茶の湯は幕府の正式な儀礼に取り入れられ、明治時代になると政界・財界人にとっては必須の教養になりました。その後、有名な岡倉天心の著書『茶の本』によって海外でも知られるようになりました。いまでも国内外を問わずエリートといわれる人達に茶道は人気が高いそうです。『茶道』には『華道』『書道』『香道』など日本文化が詰まっているので私は『茶道』は日本文化の象徴だと思っています。もし中学世時代に戻れるなら同級生の裏千家さん家の茶道教室に迷わず通いますね。当時は『茶道』や『華道』は女性の習い事という風潮でしたから男子が茶道とか恥ずかしかった時代でした。国外で評価されている『茶道』ですが日本国内ではあまり注目されていないのが残念ですね。それだけ日本人の精神性が衰退しているということでしょう。それは信仰心や宗教心が日本人の中から失われているからだと思います。日本人はお茶飲むとホッとする人が多いと思います。私も地元に日本茶の喫茶店があってたまにお邪魔して日本茶を飲んでリラックスしています。そうそう日蓮正宗総本山・大石寺はお茶所の静岡県。お土産屋さんにたくさんお茶があります。御登山の折にたまにお土産でお茶を買います。信徒でなくてもぜひ大石寺を散策してお土産に美味しいお茶を買って帰ってください。(笑)茶の道は仏の道です。
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