創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

52年路線の教義逸脱の歴史と現在の創価学会

日蓮正宗から池田創価が破門されて30年以上の月日が流れて破門当初にはよくわからなかった事が時間と共に明らかになっていく。そのひとつが【52年路線】における池田創価の教義逸脱である。そもそも【52年路線】とは池田創価の教義逸脱による謗法が原因でありそれによって池田大作は会長を勇退(実際は罷免であるが池田の顔を立てて勇退というテイにした)したわけだ。当時の主な教義逸脱は、1.創価仏法の原点は、戸田会長の獄中の悟達にある。2.唯授一人の血脈否定・途中の人師論師は無用・大聖人直結。3.人間革命は現代の御書。4.池田会長に帰命・池田会長は主師親三徳、大導師、久遠の師である。5.寺院は単なる儀式の場、会館は広布の道場。6.謗法容認(祭りへの参加等)。7.供養は在家でも受けられる。とういう内容である。これらに対して日蓮正宗側からの批判の声が上がり池田創価聖教新聞に「教学上の基本問題について」(特別学習会テキスト)と題する教義逸脱に関する訂正文を掲載するも一向に池田創価による教義逸脱は改善されることはなく池田大作の会長勇退(実質は引責辞任)に至る。「特別学習会テキスト」は現在ではネットに公開されており私もコピー資料として所持している。そこに当時の池田創価の教義逸脱に関する見解と弁明が書かれている。

■参考サイト▶特別学習会テキスト

池田創価の弁明の詳細は「特別学習会テキスト」で各自が確認して欲しいが一部を抜粋すると、創価仏法という言葉は、日蓮大聖人の仏法のほかに、なにか別のものがあるかのような印象を与える恐れがあるので今後使用しないようにします。」「大聖人直結」いうことについては、大聖人即三大秘法の御本尊に南無し奉り、境智冥合するとの意味で述べたものであります。したがって、唯受一人、遣使還告であられる御法主上人猊下を通しての大聖人への直結であることは当然であります」「経文に応供とあるのは仏のことで供養を受ける資格があるのは仏以外はないのであります。したがって、在家が供養を受ける資格があるという記述は改めます。」「出家仏教に対して在家仏教を立てるというような印象を与え、結果的に正宗の伝統及び御僧侶、寺院の軽視につながる論拠を与えたことは、まことに遺憾であります。そうした考えはもとよりありません。 」等々、全体を通して読むと言い訳がましい所があるものの日蓮正宗の教義を踏襲し遵守した正しいテキストであると考えられる。しかしこの時、池田創価は教義逸脱を反省するどころか宗門を欺いていたのである。その努力も空しく池田の御本尊無断摸刻や福島源次郎の大牟田発言などで池田は創価の会長職を事実上の引責辞任に追い込まれた。尚、本尊摸刻事件については卑怯な事に池田創価は日達上人にその責任を押し付けているがこの一件に関しては別の機会に記事にしたいと思う。さて当時の池田創価の教義逸脱を読んで既にお気づきだと思うが、これらの逸脱教義は現在の池田創価の正式な教義として採用されている。【戸田の獄中の悟達】【創価仏法】【血脈否定と大聖人直結】【池田の永遠の師匠化】【寺院不要論】【人間革命の聖典化】【財務・広布基金の徴収】これらは全て52年路線の当時教義逸脱として宗門から指摘され、それに対して池田創価が逸脱を認め訂正し謝罪した内容なのである。つまり池田創価はその当時から宗門支配か独立かを画策していたのである。ただ52年路線の時はまだ会員に対するMCが十分でなく脱会者が続出する事態になったことで池田の画策は失敗したのである。そして平成池田の乱で見事に独立(破門)に成功し、その後は望んでいた教義を採用することのみならず、戒壇大御本尊を廃棄し三宝を破壊する事にも成功した。それは取りも直さず戸田城聖創価学会創価学会員の正信を破壊したという事である。『特別学習会テキスト』で当時の宗門と会員を欺き院政をひき虎視眈々と創価学会の私物化を狙い手に入れた。何を反論しようとも52年路線の逸脱教義を全て復活させたという史実がそれを物語っている。

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