創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

竜の口法難会へ初参加しました。

先日の12日に御登山から帰ったあとに菩提寺の『竜の口法難会』へ参加しました。恥かしながら御法難会には初参加です。創価時代には大聖人にまつわる法要など全くなくてただ「今日は大聖人に○○の日だね~」で終わってしまうので特に何事もせずその日を過ごしてました。(大聖人の○○の日であると言わないの方が多かったけど)。そんな創価時代の悪癖が抜けておらず菩提寺で執り行う法要に対して無頓着でしたが徐々に創価臭が抜けてきてようやく寺院での法要に進んで参詣しようと思えるようになってきました。考えれば『竜の口の法難』は大聖人が発迹顕本された重大な日ですよね。外用においては大聖人の御入滅が不滅の滅を顕われた日ですが、内証においては竜の口での発迹顕本が滅不滅を顕わせたわけですから。いわば御入滅が「事顕本」で竜の口は「理顕本」といった感じでしょうか。御入滅を祝う『御大会』と同じくらい重要な意義があると改めて思いました。発迹顕本といえば創価でもよく使う言葉で「創価学会の発迹顕本」とか「自分の発迹顕本」などと口にし耳にしました。でもコレって完全に間違った使い方なんですよ。【発迹顕本】とは衆生を導くために仮の姿(凡夫や菩薩など)に出現した仏様がその姿を払って本来の仏様の姿(本地)を顕わすという意味ですから、末法の荒凡夫に使う言葉ではありません。ましてや凡夫の集合体の「創価学会」に発迹顕本なんてありえないのです。凡夫の本地は凡夫以外の何者でもないのです。ただ凡夫の命にも仏界が具わっているというだけでその仏界を涌現してもそれは九界所具の仏界ですから本地はあくまでも九界なんですよね。そこが凡夫本仏論の池田低級創価教学の創価員には理解できないのでしょうね。【発迹顕本】という言葉を使えるのは最初から御本仏である大聖人以外にいないのです。その発迹顕本の日に報恩感謝するのが『竜の口の法難』ですね。今回、『法難会』に参加して折伏弘教にもっと精進・専心していこうと決意を新たにしました。口先だけで「大聖人直結」などといって実際には大聖人と無関係なことばかりの創価を辞めて本当に良かった。

 

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