創価ダメだしブログ

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御講拝読御書研鑽(2023年4月・四条金吾殿御返事)

一切衆生・南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり経に云く「衆生所遊楽」云云、此の文・あに自受法楽にあらずや、衆生のうちに貴殿もれ給うべきや、所とは一閻浮提なり日本国は閻浮提の内なり、遊楽とは我等が色心依正ともに一念三千・自受用身の仏にあらずや、法華経を持ち奉るより外に遊楽はなし現世安穏・後生善処とは是なり

 

今月の御講拝読御書は『四条金吾殿御返事』です。6行ほどの短編で結文に「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき~」の有名な一文が書かれている御書です。本文の【自受法楽】とは四力冥合の事です。冒頭の「南無妙法蓮華経」は仏力・法力で、「唱うる」とは信力・行力でこの四力が冥合した姿が【自受法楽】で、その姿のまま生活していくことが「衆生所遊楽」の人生であるということです。日寛上人が『観心本尊抄文段』で、

◇我等一向に南無妙法蓮華経と唱え奉れば、我が身の全体即ちこれ本尊なり。

と御指南されているように信行具備の題目を唱えることにより自分自身が御本尊と冥合します。それは、

釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う(観心本尊抄

との御妙判にあるように御本尊(御本仏)の功徳が自分の中に涌現するということです。これを即身成仏といいます。即身成仏するのですから現世安穏となり、また後生善処の因となるわけです。「現世安穏・後生善処」とは法華経・薬草喩品の中の「是の諸の衆生、是の法を聞き已って現世安穏にして後に善処に生じ、道を以て楽を受け、亦法を聞くことを得」の言葉で、天台大師はこの文を「若し人天法を聞き戒を持し、福徳身を扶け、鬼龍犯さざるは、即ち是れ現世安穏なり。或は天より還って天に生じ、人より還って人に生じ、或は天人互いに生ずれば、即ち是れ後生善処なり」(法華文句)と釈しています。つまり受持・聞法の功徳とは現世が安穏となるだけではなく後生も素晴らしい人生を歩むことができるということです。そして日顕上人は、

◇この御本尊を的として信じ行ずることで妙法の功徳が確立する。故に、一切衆生は南無妙法蓮華経と唱えることにより真の安楽がある。この安楽の心地をもって各々の与えられた境涯で生活するとき悠々として行住坐臥を楽しむのは、この世界が妙法の世界と達して、その中で遊び暮らすこと、すなわち遊楽の生活である。(すべては唱題から)

と「現世安穏・後生善処」について御指南され、更に続けて

◇どのような苦しみも楽しみも、それを素直に受けつつ、また執われずに南無妙法蓮華経と唱えるところ、すべてを超越しつつ現在をそのまま大楽として用いる境涯である。これが自受法楽の凡夫即仏の自行であり、またこれが必ず化他折伏の行に至るのである。(すべては唱題から)

と言われています。つまり題目を上げたからと言って全ての苦悩が一瞬で解決するのではなく、自分の願いが直ぐに全て叶うことが「現世安穏」ということでなく、苦悩を全て乗り越える境涯となることが「現世安穏」の本当に意味なのです。そしてそれは決して苦悩から逃避する事ではありません。苦しければ苦しいと、悲しければ悲しいと素直に祈っていけばよいのです。その祈りの先に全てを超越する功徳が存するのです。「南無」とは「素直な心」「実直な心」という意義を持ちます。苦しい事や辛い事ばかりが多いのが人生かもしれませんが「素直な心」で題目を上げ日々その苦難と格闘しながらもそれを超越する大功徳をお互いに受けていきましょう。

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