創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

寝言丸さんコメント(10月11日)への回答。

寝言丸さん10月11日のご質問への回答を書きます。ご質問内容は以下太字の通りです。

久遠元初自受用報身如来という根本的な仏様の御名が、なぜ御本尊様の相貌に勧請されていないのだろうかと。今さらながら疑問に思いまして。全ての御本尊様を拝見した事はないので、私の不勉強なだけかも知れませんが、もし勧請されていて御図顕されていたら、身延日蓮宗などに難癖をつけられなかったのではないかとも愚考します。

まず最初に基本的なことを言います。日興門流の本尊義は御本尊とは「十界互具」の本尊であり身延の言うような「十界勧請」の本尊という解釈ではありません。身延の言う所の「十界勧請曼荼羅本尊」という考え方は正宗の本尊義にはありません。「勧請」というのはザックリ簡単に言うと「召還」というような意味合いになると思います。身延は御本尊の相貌に書かれている十界の衆生は「召還された衆生」だと思っているわけです。仏様に呼ばれてやってきた衆生という考え方です。しかしその「勧請」という考えがすでに間違っているわけです。「御本尊七箇相承」には

◇首題も釈迦多宝も上行無辺行等も普賢文殊等も舎利弗迦葉等も梵釈四天日月等も鬼子母神十羅刹女等も天照八幡等も悉く日蓮なりと申す心なり 

と書かれています。これはどのような意味かというと、御本尊の相貌に書かれている十界の衆生全ては「外から召還されてやってきた」のではなくあくまでも最初からご本仏の一念に住していたという事です。すなわち御本尊の相貌の十界の衆生は全てご本仏・大聖人の己心の十界ということです。「召還する」というのはあくまでも自分の外に存在するモノを呼び寄せるわけですから、その解釈だと仏界に九界は存在しないということになります。それだと十界互具・一念三千の法理が成立しません。よって大聖人の本尊は一念三千の御本尊ではないということなります。コレで分かるように御本尊の相貌に書かれている十界の衆生を「勧請された衆生」と解釈するのは間違っています。当然御本尊の事を「十界勧請曼荼羅本尊」だという事も間違いです。あくまでも大御本尊を始めとする日興門流の御本尊は「十界互具・一念三千の御本尊」なのです。ここが今回のご質問の回答として一番重要な部分です。

さて、その上で久遠元初自受用報身如来の名前が相貌に書いてあれば分かりやすいとのことですが、まぁ確かにその通りなのですが、久遠元初自受用報身如来とは別名は無作三身如来です。そして無作三身如来は即一念三千です。ですから総じていえば十界互具の御本尊の全体が無作三身如来であり久遠元初自受用報身如来なのです。梵天も帝釈も多宝も四菩薩も鬼子母神提婆達多もご御本尊の相貌全てが久遠元初自受用報身如来=ご本仏なのですね。それ故に御本尊の中に「久遠元初自受用報身如来」とは書かれていないわけです。いつも言いますが大御本尊は生身の日蓮大聖人です。ですからその全体が久遠元初自受用報身如来なのです。だから御本尊の相貌に「久遠元初自受用報身如来」と書かれていたらむしろ「久遠元初自受用報身如来」が二人いることになっておかしな話になってしまします。

また別して言えば御本尊の中央に認めれれている、「南無妙法蓮華経 日蓮」の文字こそが久遠元初自受用報身如来を表しています。この文字については多々の解釈がありますが一つ言えば南無妙法蓮華経」は「法」にあたり、「日蓮」は「人」に当たります。つまり中央の「南無妙法蓮華経 日蓮」の文字は「人法一箇」の法体を表しているわけです。この「人法一箇」の法体こそが久遠元初自受用報身如来の体ですから「南無妙法蓮華経 日蓮」は言い換えれば「久遠元初自受用報身如来」のことになります。ただし基本的にはあくまでも大御本尊全体が久遠元初自受用報身如来の体となります。

問う、妙法五字のその体何物ぞや。謂く、一念三千の本尊これなり。一念三千の本尊、その体何物ぞや。謂く、蓮祖聖人これなり。(観心本尊抄文段下)

ですから大聖人の認められた御本尊に「久遠元初自受用報身如来」と認められた御本尊はありません。それぞれぞれ認められた時期によって相貌は違いますがその理由は私の凡夫には分かりません。ご化導の次第によるものではないかと私は思っていますが私の知る限りでは「南無妙法蓮華経」と「日蓮」の文字は全てのご本尊に認められています。いずれにせよ御本尊の相貌に書かれている衆生はあくまでも大聖人の己心に住する衆生であって他所から勧請した衆生ではないことを分かっていて欲しいと思います。

◆但し妙法蓮華経と唱へ持つと云うとも若し己心の外に法ありと思はば全く妙法にあらず 麤法なり(一生成仏抄)

とのご聖訓通り、自分の外の仏菩薩を「勧請」するというのは麤法です。私たち日興門流は大本尊に認められている諸天を勧請しているのではなく「冥合」しているのです。


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