蘭房さんとポリ銀さんから「久遠元初」についての質問をもらってので今日は「久遠元初」についての私の考察を書きたいと思います。
あらてめて「久遠元初」の語句をおさらいすると【釈迦如来五百塵点劫の当初】の御文の【当初】をさして「久遠元初」と呼びます。つまり法華経文上に説かれている釈迦仏が最初に成仏した時である「五百塵点劫」より以前という意味です。確かに時系列としては五百塵点より前の時を指して「久遠元初」と呼ぶのですが、この「五百塵点劫より前」という表現の仕方はあくまでも法華文上の文に即してそのような言い方をされているのだと思います。そして「五百塵点劫」という言葉の元意は「時間」にあるのではなく「成仏」にあります。なので「久遠元初」もまた元意は「成仏」にあります。「五百塵点劫」というのは成仏した時即ち「本果」を顕し「久遠元初」とは「本果」以前の「本因」を顕すというのが私の捉え方です。では「久遠元初」の体とは何なのか?と考えると御義口伝には、
◆久遠とははたらかさずつくろわずもとの侭と云う義なり(御義口伝巻下)
と書かれています。【はたらかさずつくろわずもとの侭】というのは最初から・初めから(本有)ということで、そこには「時間」という概念はありません。「時間」がありませんから「空間」もない。永遠であり無限なのが「久遠元初」です。では「久遠元初」とは何であるかということになると、
◆釈迦如来五百塵点劫の当初凡夫にて御坐せし時我が身は地水火風空なりと知しめして即座に悟を開き給いき(三世諸仏総勘文教相廃立)
との御文を考えるときこれは本仏の報身であると思うわけです。つまり本仏の智慧そのものが「久遠元初」の体であるということです。つまり「久遠元初」とは自受用報身そのもであり末法でいうならば自受用報身如来たる本門戒壇大御本尊が「久遠元初」であると考えます。さてポリ銀さんから
▼久遠には迹仏からの相承はなかったのでしょうか?
と聞かれましたが、日寛上人は「当流行事抄」の中で
◇若し文上の意は久遠の本果を以って本地とするが故に余仏有り、何となれば本果は実に是れ垂迹なり、故に本果の釈尊は万影の中の一影、百千枝葉の中の一枝葉なり、故に本果の釈尊の外更に余仏有るなり、若し文底の意は久遠元初を以って本地とするが故に唯一仏のみにして余仏無し、何となれば本地自受用身は天の一月の如く樹の一根の如し、故に余仏無し。当に知るべし、余仏は皆是れ自受用身の垂迹なり
とご指南されているように、久遠元初には一仏しか存在しませんで迹仏というのは存在しません。迹仏とは「五百塵点劫」の本果一番の釈迦仏がその化導の為に説かれた存在でありその迹仏の説法が八万法蔵の権教です。「文底独一」という言葉の「独一」というのは「それしか存在しない」という意味です。また上記の日寛上人のご指南にあるように多くの迹仏・権教は一枝葉でありそれらは全て一根から出ていて一根に帰するわけです。その一根が「久遠元初」の体であるところの戒壇大御本尊です。話を戻しますが「久遠元初」とは「時間」も「空間」もない「無量無辺」の存在ですから逆に言えばいつでもどこでも条件があえば「久遠元初」に成りえます。そしてまさに末法今時が「久遠元初」になりえる時です。その理由は以前も書きましたが、久遠元初と末法は法体が南無妙法蓮華経で同じです。次に衆生の機根が同じ凡夫です。また教法が下種(折伏)で同じです。そして歴劫修行を経ることなく即身成仏する三益の次第が同じです。それが久遠即末法の所以です。上記の「総勘文抄」に書かれている【釈迦如来五百塵点劫の当初】(久遠元初)とは我々が大御本尊を信じ勤行・唱題を申し上げているその時を指して「久遠元初」と名付けるのだと思います。また同時に戒壇大御本尊のおわします場所も久遠元初です。凡夫の心に大御本尊への信心が芽生えた時が久遠元初だととらえています。だからこそ我々大聖人信徒は地涌の菩薩なのです。地涌の菩薩とは何も時系列的に過去世からの弟子というわけではなく大御本尊に不退の信心を持った時から即地涌の菩薩となるわけです。何故なら不退の信心を持った時が久遠元初だからその時点で我々は久遠元初からのご本仏の弟子となるわけです。とりとめのない話になってしまいましたが法華経に合わせ便宜上「釈迦如来五百塵点劫の当初」と御書には書かれていますが「久遠元初」の本質とはそのような時系列な話ではなく、ご本仏の智慧の根源・成仏の本因が「久遠元初」だというのが私の考えです。