創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

御講拝読御書研鑽(2023年1月・大悪大善御書)

大事には小瑞なし、大悪をこれば大善きたる、すでに大謗法・国にあり大正法必ずひろまるべし、各各なにをかなげかせ給うべき、迦葉尊者にあらずとも・まいをも・まいぬべし、舎利弗にあらねども・立つてをどりぬべし、上行菩薩の大地よりいで給いしには・をどりてこそいで給いしか、普賢菩薩の来るには大地を六種にうごかせり

 

今年の初御講の拝読御書は、『大悪大善御書』です。ここ数年来の世相を俯瞰してみると新型コロナウィルスの蔓延は言うまでもないですが、それ以上に物価高と増税のダブルパンチで完全にスタグフレーションを引き起こしており一般庶民の暮らしは苦しくなっています。にも拘わらず政治は庶民のことを慮らず腐敗と不正を重ねているようなまさに庶民にとっては「大悪」がやってきているといえます。この大悪の根本原因は大謗法の存在・蔓延です。創価を筆頭とする大謗法者達が人々を背正帰邪に導いている故にこのような世相になっているのは依正不二・一念三千の原理上から大聖人が鎌倉時代に喝破した通りでしょう。しかし謗法が蔓延するのは逆説的に考えれば大正法が広まる前兆となります。何故なら

◆第六天の魔王・十軍のいくさを・をこして・法華経の行者と生死海の海中にして同居穢土を・とられじ・うばはんと・あらそう(辧殿尼御前御書)

と御聖訓にあるように第六天魔がはこびるという事は法華経の行者の力が強まったからなのです。そうでなければわざわざ第六天魔は戦を起こしません。従って第六天魔の手先の大謗法者がはこびることは大正法が広まる前兆であると大聖人は仰せなのです。端的に言えばこのような時には必ず折伏ができるということなのです。ですから、「折伏ができない」「折伏したくない」なんて嘆いていないで絶対に折伏はできるのだから楽しく折伏をしていきなさい。ということです。なぜ折伏をするのか?については改めて記事にしますが、本来は折伏は楽しいものなのです。私が学会時代の活動の中で一番楽しかったのは折伏です。しかし創価では選挙や新聞啓蒙で折伏はほとんどやれなかった。そう思うと折伏以外に余計な化他行がない法華講は本当に最高だなって思います。さて、本御文を個人に約してみると、個人的に大悪と思えることが身の上に起こることはたくさんあります。私もいまでも大悪の連続で心が折れそうになりますが、信心をしていて大悪が起こるのは、

◆般泥洹経に云く「善男子過去に曾て無量の諸罪種種の悪業を作るに是の諸の罪報は或は軽易せられ・或は形状醜陋・衣服足らず・飲食麤疎・財を求むるに利あらず・貧賤の家邪見の家に生れ・或は王難に遭い・及び余の種種の人間の苦報あらん現世に軽く受るは斯れ護法の功徳力に由るが故なり」云云

と御書に書かれているように過去世からの謗法が一気に出てくるからです。末法に生まれた私達は自覚のあるなしに関わらず過去世で謗法を積んできたのでありその結果長期間にわたり苦しみを受けなければならない身の上です。しかし戒壇大御本尊を受持することによりその力用によって未来に受けるべき苦しみを現在に転重軽受して受けるのです。そしてそれは一生成仏が近づいてきた証拠・現証なのです。

◆しをのひると・みつと月の出づると・いると・夏と秋と冬と春とのさかひには必ず相違する事あり凡夫の仏になる又かくのごとし、必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退くこれなり(兵衛志殿御返事)
との御聖訓にあるように身の上に大難・大悪が降りかかってきたその時こそ、それらに負けないで一生成仏のチャンスであると益々強い信心を振り起すことが肝要となります。とはいえ、大悪が身の上に起これば不安や恐怖に苛まれてしまうことも現実です。そんな時はどうするか?その時こそ題目です。大聖人が御指南されている「自行化他の題目」なんですね。苦しい・悲しい・辛い。そのような悩みを解決する世法的な手段があればそれらの手段を講じればいい。でも世法に数多ある手段をもってしても解決できないから「大難・大悪」なのです。それを解決できるのは御本仏以外になくその御本仏が「自行化他の題目」によって解決できると言われています。私は三障四魔に出会って「喜ぶ」ほどの賢者ではありませんが、退くような愚者でありたくないと思っています。それに不思議と自行化他の題目を続けていると少しだけ賢者寄りになるような気がするんですよ。そんなわけで、いまは世相もそして個人でも大悪の連続ですがこの第六天魔の波状攻撃に耐え反転攻勢に打って出たいと思っています。

 

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