記事中の「赤文字」は『化義抄』から「青文字」は日亨上人の『註解』、「黒太字」は日達上人の『略解』からの引用文といたします。
【第94条】法華宗は大乗の宗にて信心無二なる時は即身成仏なるが故に戒の持破をも云わず、又有智無智をも云わず、信志無二なる時は即身成仏なり、只し出家の本意なるが故に何にも持戒清浄ならん事は然るべし、但し破戒無智にして己上すべからず云云。
本宗は実大乗教なので無二の信心によって即身成仏するのでから戒律を守っているかどうかや智慧の有無は問題にはならりません。飲酒も肉食も創価の正宗誹謗のひとつである妻帯も小乗戒ですからそのような戒律は不要であり不問だということです。しかし信心をしているかと言って反道徳・非常識な言動をしても良いということないのは当然ですし、無二の信心により六根清浄となり自ずと人格も磨かれていくのです。このように小乗戒のような戒律を持つ必要がない事を前提として出家の御僧侶方に関しては出家の信徒よりも道徳や常識を重んじるとともに出家より謗法に対して厳しく対処すべき旨を御指南されています。この条項の【持戒清浄】とは前述の通り妻帯肉食等の小乗戒を言うのではなく(本宗は大乗教なので)大聖人仏法の戒律を持つという事です。大聖人仏法の戒律とは謗法厳戒ですから在家信徒よりも厳格に謗法に対処しなければなりません。そして、そのような立派な行体を身に着けた御僧侶が御住職や法主上人となるのです。
◇「戒持破等」とは・戒は小乗の五八十具・大乗の十重等に付いて・何れを持つとも・何れが破戒なりとも特別の詮議立てを為さず(註解第64条)
◇但し出家修行の僧としては持戒清浄であることが本意でありますから、できるだけそうありたいものです。もし、破戒無智の身であるならば、上位に在ることは遠慮すべきであります。(日達上人略解)
【第95条】法華宗は他宗の仏事作善をば合力せざるが功徳なり、其の故はかたきの太刀、刀をばとぎて出すべきか、敵のようがいをこしらえて無用なるが如し、仍て他宗の仏事の合力を為すべからず云云。但し、公事なんどの義は別の子細なり云云。
当宗の僧俗は他宗の仏事(葬儀や法要)に協力しないことが却って功徳になるというご指南です。何故なら謗法である他宗の仏事に協力することは敵の為に尽力することになり謗法与同であるからです。ただし公の仕事として止む得ない場合は例外です。その場合においても謗法破折の折伏精神を心に持ち望むことが肝要です。
【第96条】他宗の親兄弟の中に病災等に付いて祈祷を成すべき子細あらば我が信ずる正法の法華宗の出家を以って、我が所にて祈祷せば尤も仰せに随うべし、既に兄弟が正法の檀那なるが故に彼の仰せに子細なしと云云。
当宗の信徒が未入信の親兄弟の当病平癒の祈祷を願い出た時には御僧侶はその願いに応じても良いというご指南です。それは願主が当宗の信徒であるからです。私達の立場でいえば未入信の家族等の当病平癒や罪業消滅の祈祷を御僧侶に願い出ることが出来るということです。このような場合は祈祷を願い出た相手を折伏するのだという気持ちで祈祷を願い出ることが肝要です。
【第97条】他宗の親、師匠の仏事を其の子、其の弟子、信者にて成さば子細有るべからず。
この条項は前条と同類で当宗信徒が他宗の親や師匠の法事などの当宗に願い出た場合は御僧侶はそれに応じて良いのです。創価を始めとする他宗・邪宗のまま亡くなった身内を正宗で追善回向できるのは感謝しかありません。
【第98条】末寺の事は我が建立なるが故に付弟を我と定めて此の由を本寺へ披露せらるる計りなり云云。
住職が自ら建立した末寺であれば後任はその住職が決めて本山に申し出ればよいという条項ですが、今日では末寺住職の元で出家得度する事はなく全ての御僧侶は法主上人の弟子として出家得度するので本条項は現在では該当しません。因みに正信会僧侶も創価坊主も全て法主上人により住職に任命されたのだから当宗を離れるのであればその寺院から出ていくのがスジです。しかるに寺院に居座り乗っ取るような真似をしている。剰え寺宝である御本尊を創価に横流しした成田宣道のような者は人間としての筋道・道徳をも守る事の出来ない唾棄すべき人間であると言えます。既に鬼籍に入ったとはいえその罪業は未来永劫に消えることはありません。
【第99条】日興上人の時、八幡の社壇を重須に建立あり、内には本尊を懸けらる。是れは本門寺の朽木書と云々、今の義にあらず、天下一同に法華経信仰の時は当宗の鎮守は八幡にて在すべし云云、大隅の八幡宮の石の文に昔は霊山に在りて法華経を説き、今は王宮の中に有りて大菩薩と現すと八幡の御自筆有り、釈迦仏の垂迹にて在すが故なり云云、所詮朽木書きとは手本と云う意なり。
◇朽木書きとは絵画の下書のこと、手本の意。二祖日興上人の時に重須(北山)に八幡の社(垂迹堂、今はなし)を建て、その中に本尊を懸けられたのであります。これは将来本門寺を建立した時の手本という意で現在の意義をもっているのではありません。広宣流布の暁には当家の守護神は八幡であると云う意であります。(日達上人略解)
日興上人の時代に重須に八幡の社を建てその中に本尊を懸けられましたが、これは将来広宣流布の暁に本門寺を建立した時の手本であり現在の化義ではないということです。広宣流布が達成していない現在においては寺院内に社を建立する化義はないということです。八幡の社の理由は八幡は釈尊の垂迹神で日本国守護の善神だからです。また日達上人御指南の「本門寺」とは広宣流布達成時に大石寺に付けられる寺号をいいます。大石寺とは広宣流布までの仮の名前であり広宣流布の時には「本門寺」と改名するのです。現在は北山が「本門寺」と名乗っていますが、これは彼等が勝手に自称しただけで、日興上人が北山(重須)を「本門寺」と命名したのではありません。
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