創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

御講拝読御書研鑽(2021年6月・四条金吾殿御返事)

いかに日蓮いのり申すとも不信ならばぬれたるほくちに火をうちかくるがごとくなるべし、はげみをなして強盛に信力をいだし給うべし、すぎし存命不思議とおもはせ給へ、なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし、「諸余怨敵皆悉摧滅」の金言むなしかるべからず、兵法剣形の大事も此の妙法より出でたり、ふかく信心をとり給へ、あへて臆病にては叶うべからず候。

今月の御講で拝読したのは「四条金吾殿御返事」の中から、別名「剣形書」「法華経兵法事」と言われている御書の御文でした。この御書は1ページほどの短い御書ですが大切なご指南が書かれていますので是非、通読してみてください。【なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし】の一文は有名ですね。この世の中には解決方法が分からない様々な苦悩があります。解決方法が分かっていてそれを実行できる悩みなら最早それは悩みでも苦しみでもありません。それが分からない・できないから人は悩み苦しむわけです。だからそんな時は法華経の兵法=唱題を根本にすることが「諸余怨敵(様々な苦悩)を皆悉摧滅(全部解決する)一番の手段であるということを教えてくださっているのがこの部分です。何故そうなのかというと、どんな苦悩であっても因果の二法に収まるからです。その因果の二法の根本が妙法だからです。

◆仏法は体のごとし世間はかげのごとし体曲れば影ななめなり(諸経と法華経と難易の事)

根本の因果の二法を正していけば自ずと全ての苦悩の原因も結果も全て正しい軌道に戻るわけです。その方法が根本の因果の二法の当体である御本尊へ祈る(本門の題目をあげる)事という行為です。ですから御本尊に祈っていけば必ず様々な苦悩は消えていくのです。しかも本門の題目とは【いかに日蓮いのり申すとも】とのお言葉にあるようにご本仏も一緒に祈って下さっている題目なのです。

◇我等一心に本尊を信じ奉れば、本尊の全体即ち我が己心なり。(観心本尊文段)

との日寛上人のご指南がありますが、これはどういうことかと言えば大御本尊を信じれば大御本尊はそのまま我らの心と等しくなるということです。つまり大御本尊を信じて祈る自分自身の祈りはそのまま大御本尊(日蓮大聖人)の祈りにもなるのです。ただし、上記御文の御文にあるようにいくら御本仏・日蓮大聖人が祈ってくれても自分自身が不信であれば仏界即九界の境智冥合をしないので祈りは叶わないのです。では我々罷りなりも大聖人仏法を信仰している法華講員にとって不信に陥る原因はどこにあるかというと、【あへて臆病にては叶うべからず候】と仰せの如く「臆病」の一念にあります。「臆病」とは具体的にはどういうことかと考えると、「祈ってもダメかもしれない」といった弱気な心ではないかと思います。私も悩みごとで苦しくて辛くて祈っている時もありますが、それがなかなか解決しないと「もうダメかも?」という不安な気持ちになってしまう時が多々あります。「もうダメだ」と思う事は大御本尊の仏力・法力に対して不信を抱いているのと同じことです。そんな風に弱気になって「ダメだ」と思いながら祈っていても願いは叶わないということを今回の御文を読んで改めて反省しました。

◆但し御信心によるべし、つるぎなんどもすすまざる人のためには用る事なし、法華経の剣は信心のけなげなる人こそ用る事なれ鬼にかなぼうたるべし(経王殿御返事)

との御聖訓にもあるように、どんな苦難の時でも臆病風に吹かれずに唱題をしていこうと思います。なんといっても我々、法華講員は大聖人と共にお題目をあげているのですから勇気百倍です。

◆師とは師匠授くる所の妙法子とは弟子受くる所の妙法吼とは師弟共に唱うる所の音声なり(御義口伝巻上)

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