先日の御講の時にお樒を買ってきました。前回のお樒は先月登山した時に御山で買ったのですが、いつもはお寺で買います。毎日売っているわけではないのでタイミングを外すといい感じのお樒が残ってなかったりしますが、御講のお逮夜の日には新規入荷していることに気づきその日に買う事にしています。これからの時期は1カ月くらいしか持ちませんけどお樒は常に青々したものをお供えしたいと思ってます。他宗では生花を供えることが多いですが日蓮正宗ではお樒を仏前に供え生花は使いません。理由としてはいくつかありますが一番良く言われるのが、生花は咲いている時はキレイですが寂しく枯れます。これは「無常」の相を示しています。対してお樒は緑の葉のまま変わることがありません。この姿は「常住」の相を示していて大聖人の仏前を荘厳するのに相応しい華です。また樒は日本に生息する唯一の香木でその強い香りで虫を寄せ付けないということで浄化作用もあることから「清浄」な意味もあります。そもそも仏前に華を備えるのは昔インドでは敬愛する人に対して「華香水」で歓迎したという風習が伝わったそうです。今の私達でいうと「樒・線香・お水」ですね。法華経の方便品には【清浄に広く厳飾し 諸の塔を荘校し 或は石廟を起つに 栴檀及び沈水 木樒并びに余の材 甎瓦泥土等をもってする有り】と書かれています。そして【栴檀及び沈水木樒】で仏前を荘厳する人は【是の如き諸人等皆已に仏道を成じき】と説かれているようにお樒を供える人は仏道を行じ成仏の道を歩んでいるのです。私は古いお樒でまだ良い葉はこうして少し残しておきます。というのも法華講になって教えてもらったのですが正宗ではお供えするお水に樒の葉の先端部分を浮かべるらしく、この残している葉からちぎっています(けち臭い?)さて、創価民は造花の樒を使っている人が多いですが、何故お樒をお供えるするのかその理由がわかれば造花の樒は、創価風にいうと「仏法の本義に照らして正しくない」ですよね。造花の樒じゃ葉っぱの先端をちぎれないし(笑)ニセモノの常住・ニセモノの清浄です。もっともニセモノの本ぞ・・ですから樒もニセモノで十分なのかもしれませんけど。何よりも「造花は面倒くさくなくて便利」などと言っている時点で仏様を敬愛する気持ちなんて毛頭ないですね。大切なお客様に面倒くさいからコンビニ弁当の食事を出すようなものです。創価のダメなところは御本尊を仏様だと思っていないところです。ただの「宇宙の法則」だと教えられているから造花の樒(しかも埃だらけ)でも平気なのでしょうね。新しいお樒をお供えする度に、「樒」のように「常住不変」で「清浄」な信心をしていきたいと思いっています。さて、樒といえば有名な「樒1枚のご供養」という話があります。少し長くなりますが引用しますので読んでみてください。
『樒一枚の御供養』
御供養について、総本山大石寺の吉野総代(故人)の奥さんで、観行坊支部の吉野幸子さんの次の手記があります。私(吉野)は御供養の話がある度に、青年部時代に所属していたお寺の御住職様のご指導を思い出します。それは、昭和三十年前後の静岡県清水の妙盛寺(故秋田慈舟師S40年頃寂)での事でした。私がお寺に住職として着任してまもなく、一本の電話が入った。「遠い所ですが、主人が亡くなったので、お葬式をお願いします」とのことだった。次の日、どしゃ降りの雨の中を、汽車で金谷まで行き、金谷から駿遠線に乗り換え、終点で降りて、又一時間ほどバスにゆられて終点で降り、そこから四、五十分、家一軒もない山道を雨に濡れて歩いて行くと、はるか向こうに小さな掘っ立て小屋が見えた。「まさか、あそこではないだろう、道をまちがえたかな」と思いながらも、他に家らしきものもないので、その小屋へ行ってみたら、なんと、そこが亡くなった人の家だった。その家ヘー歩入った途端、声が出ない程驚いた。家の中は雨漏りがひどくて、バケツから洗面器や鍋と、ありとあらゆるものが、十個位並んでいた。畳もなく、筵を敷いた家の中で、小さな子供が四、五人とおかみさんが、亡くなったご主人のまわりにいる。他の人は誰もいない。枕元を見ると、御本尊様にきれいな樒が供えられていた。勤行しているのがすぐに分かって、うれしかった。それから懇ろに御回向した後、「火葬場は?」と聞いたら、「私と子供達でお父さんをリヤカーヘ乗せて行きますから」と言われて、次の言葉が出せなかった。私が、「お題目を家族で一生懸命唱えて、御本尊様にすがりきって行きなさい。困った時には、何時でも相談に来なさいよ」と言って帰り仕度をしていると、半紙に御供養と書いてある分厚いものをお盆にのせ、目の上の高さまで押し頂いて持ってきて、私の前へ差し出し、正座をして、「御住職様、今の私の家には、これしかお礼を差し上げられません。どうぞお受け取り下さい」と言う。頂いていいのかどうか、「いいんだよ」と言うことも出来ず、迷っていた。すると、おかみさんが無理に私の手に握らせ、頭を畳にすりつけてお辞儀をしている姿を見て、有り難く頂戴した。そして、「御本尊様にお供えします。何か困った事があったら、必ず相談にくるんだよ。信心をしっかりするんだよ。必ず道が開けるからね」と言って帰路についた。帰る道々、懐の中の分厚い御供養を思い出し、「あんなに貧しい生活をしているのに、どうしてこんなにお金を貯められたのかな」と、種々思いをめぐらしながら、お寺へ帰ってすぐに、御本尊様にお供えした。故人を思い、お経を唱えてから、頂いた御供養をあけさせてもらった。そしたら包んである半紙を開けども開けども、何枚開いてもまだ半紙、丁寧にきちんと折りたたんだ半紙、十枚開いても、まだ半紙。「何だろう」と思いながら開いた半紙が十五、六枚。最後に出てきたのは、シキミの葉一枚に、手紙が添えられていた。それには「今、家には御供養したくても、お金がありません。真心こめて、このシキミを御供養させて頂きます。これから一生懸命働いて、必ず御供養させて頂きます」と書かれていた。私は感激した。有り難くて有り難くて、こんなに素晴らしい御供養を、頂いた事は今まで一度もなかった。又これだけ真心のこもった、素晴らしい御供養は、これから一生頂くことは出来ないだろう、と思って涙が止まらなかった。御供養というものは、人に言われて、出すものではない。仏様に対して「自分の真心を捧げて、受け取って頂くもの」だ。その御供養を、私が自由に使ってしまったら、皆さんがもらう罰より数百倍もひどい罰を、私は受けなければならない。それから何年も経って、いつとはなくその家族を忘れていたら、ある日執事さんが「ご来客ですが、名前を言いません」と言って、私を呼びに来た。出てみたら、全然知らないご婦人と立派な身なりをした青年が、ニコニコしながら「御住職様、私達を覚えておられますか」と言われても、私は全然知らない人なので「わかりません」と言うと、青年が「十年程前、どしゃ降りの雨の中をおいで下さって、お葬式をして頂いた者です。今日は、父のお葬式の御供養を持参致しました」と言われ、思い出した。私の足下に土下座までして、シキミを包んであった半紙と同じくらいの厚さの御供養を出された。驚いている私に、「主人の亡くなった後、家族で東京に出て、死にものぐるいで働きました。子供達は中学までしか出してやれなかったけれど、皆立派に成長し、小さいながらも自分達の土地と家を持つことが出来ました。東京のお寺について、家族六人で信心させて頂き、一生懸命頑張っています。子供達は中学出なのに一流企業に就職し、今一番下の子だけ、高校に行っています。私は今とても幸せで、もしこれが夢であるなら醒めないでほしいと、毎日御本尊様にお願いし、感謝感謝の日々を送っています」と言って帰られた。私も大変うれしくなった。「すばらしい信心をしているんだな」と感心した。お金持ちが一千万出すより、困っている人が御供養したいけど、今はこれしかできないからと、真心込めてする御供養がいかに大事なことか。私が、いつも御供養の大切さを話しているけど、本当の御供養の精神を、皆に分かってもらいたいと思って、この話をしているんだよ。私(吉野さん)は御住職様からこの話を聞いた時から「私も、仏様に受けとって頂ける御供養をしていこう」と、心に念じながら御供養させて頂いております。(『祖道』1912号より)
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