創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

創価教学じゃない御書講義(2021年6月座談会御書・祈祷抄)

大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも潮のみちひぬ事はありとも日は西より出づるとも法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず

今月の創価座談御書は「祈祷抄」の一節。丁度5年前の6月と同じところですね。5年前の記事もリンクしておきます。

創価教学じゃない御書講義(6月度座談会御書・祈祷抄)

さて今回の御文の創価的なスタンダート講義は「法華経の行者とは実際に広宣流布をしてきた創価学会三代会長(なかでも池田大作を強調)と師弟不二に戦う私達学会員。故に創価で戦う人の祈りは必ず叶う」っていう感じですかね(笑)まぁ全国の座談会ではそんな内容のインチキ講義が展開されると思われます。創価教学・創価講義の浅くてインチキな所は一番大切部分を説明しないという事にあります(対論でも同じ手法)創価的スタンダード講義でのキモは『広宣流布』とは何か?ということです。そこの説明なくして創価池田大作広宣流布をしてきた(している)という話にはならないでしょ?だから創価会員さんに「広宣流布」ってものを教えてあげますので耳をふさがず聞いてください。日達上人の有名な御指南に

◇「日蓮正宗の教義でないものが一閻浮提に広がっても、それは広宣流布とは言えないのであります」

といいう御指南があります。つまり池田以下の破門後の創価(つまり現在の創価)のしていることは広宣流布ではありません。この日達上人の御指南は別に達師が適当に言っているわけではありません。創価民の皆さんは「広宣流布」ってどういう状態になった時か知ってますか?池田センセは「流れそのもの」なんて会員を煙に巻く話法を使って誤魔化していますが大聖人はちゃんと具体的に「身延相承書」に我々門下の僧俗が目指すべき広宣流布の姿を御遺命として残されています。曰く、

日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり、国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ、事の戒法と云うは是なり、就中我が門弟等此の状を守るべきなり。

と。さらに上記の身延相承書で付属を受けた日興上人は、それを受けて大三祖・日目上人に

◇日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を 相傳す。本門寺に懸け奉るべし。(日興跡條條事)

と御遺命されています。宗開二祖の御遺命を要約すると、広宣流布とは『富士山の本門寺(大石寺は本門寺になる前の仮の寺号)に事相の戒壇を建立して弘安二年の大御本尊をご安置する』ことを目指して弘教していくことです。つまり創価に限らず顕正会・正信会・身延などの異流義には絶対に広宣流布はすることができないのです。なぜなら「日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊」がないからです。日達上人が「日蓮正宗の教義でないものが一閻浮提に広がっても、それは広宣流布とは言えない」とご指南するする理由はそこにあるのです。剰え創価は「日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊」の信受をやめ捨て去ったわけですから広宣流布をする法華経の行者などではなく、むしろ広宣流布を阻止せんとする法華経の敵なのです。さて、本文の前には法華経の行者の祈りが必ず叶うのは諸天善神等が法華経の行者を必ず守るからであると書かれています。詳しくは御書本文を読んでください(大白蓮華ばかり読んでないで御書よみましょうね)要約すると釈迦仏があと3か月で涅槃することを聞いた諸天善神等は仏の病床に集まり「法華経の敵の舌を切る」「法華経の敵とは同座しない」など話しをしていました。そして迦葉童子が「菩薩は法華経の敵の国には霜雹となるべし」と仏に言ったところ病床の仏は起き上がって喜んで「善哉善哉」と褒め称えました。これをみた諸天善神等は仏に「法華経の敵は必ず討伐する。成敗する」と次々に誓います。このように全ての諸天善神等は仏に誓ったのだから「法華経の行者」を必ず守護するということです。でも、これはある意味『裏』なんですよ。そこに書かれている『表』の意は、諸天善神等は法華経の敵は必ず滅ぼす】と誓ったということです。今の創価は先ほど書きましたが法華経の最重要である法体の本門戒壇の大御本尊を自らも捨て他人にも捨てさせているのだから「法華経の行者」どころか【法華経の怨敵】なのです。つまり祈りが叶うどころの話ではなく、諸天善神等に【必ず滅ぼされる】存在が、池田創価とそれに連なる学会員なのです。「創価の信心で功徳が出た?」なにを能天気なことを言っているんですか?そんなの魔の通力以外にないでしょう。いいですか?現証というのは文証・理証に合致してこそなんですよ。また現証における功徳・罰の判断は文証によるのです。

今回の「祈祷抄」に照らせば創価民が功徳だと思っている現証は全て魔の通力なのです。

◆現在に一分のしるしある様なりとも天地の知る程の祈とは成る可からず魔王魔民等守護を加えて法に験の有様なりとも終には其の身も檀那も安穏なる可からず(諌暁八幡抄)

法華経の怨敵】の創価民は魔王・魔民によって滅ぼされるのです。創価創価幹部のインチキ教学に騙され続けていてはダメですよ。早く戒壇大御本尊への信を取り戻し懺悔滅罪の祈りをしないと大変なことになりますよ。これは脅しじゃないです。大聖人の文証と理証の上から言っているのです。

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