創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

創価男児さんとの対論はどうします?

創価男児さんとの対論を続けるどうか検討中。彼は続けたいみたいだがここまで話していて彼のスタンスや教学力も見えてきたのでこれ以上話しても時間の無駄かなぁって正直思っている。まぁ続けるならばやはり最初のお題の結論を出してからじゃないとね。このまま結論の出ない対話を延々とするほど暇でもないし。最初のお題は「日顕上人への相承」についてで、ここまでの対論をまとめると、男児さんの主張は「日顕上人への相承は無かった」ということで、その理由が(1)詳細な記録が残っていない(2)正式な儀式が無かった(3)日達上人から相承を受ける時間がなかった。との3点なんだが、それに対して俺は過去の相承の例で(1)(2)の相承の詳細な記録や儀式を開催した例が少ない事を挙げ「詳細な記録」や「儀式がない」ことは相承を否定する理由にならないことを述べ、さらには「相承に必要な時間」についても彼の主張する1時間半程度というのも何も根拠がないと斥けた。つまり彼が「日顕上人への相承を否定する」根拠は【何もない】のだ。すると途中で「日顕上人が間違った法主だ」とかいいだす。最初は、

「相承した証拠がない」から日顕上人を法主と認めないと言っていたのが、途中から

日顕上人は間違っている」から日顕上人への相承を否定する。と全く違う話にすり替えるわけだ。

この①と②は全く整合性もなく全く別の話だ。①ならば「相承した証拠がないから日顕上人を正当な法主と認められないだから日顕上人は間違っている」という話だし、②ならば「日顕上人は間違っているから正当な法主として認められない」という話になる。つまり①ならば対論のテーマは「日顕上人への相承有無」で、②ならば「日顕上人の善悪」となり全く違う話になる。最初から「日顕上人は間違っているから相承を認めない」という②がテーマならば、そのような話をするのに最初は「相承した証拠がない」という①の話だったはずである。ならば「相承を否定する根拠がない」現段階では、彼は相承を素直に認めるべきなのをなんだかんだ言っては認めようとしない。それに対し俺は「相承を否定する根拠がない」と認めるかそうでなければ相承を否定できるだけの根拠を示すように要求しているところで今は対論は止まっている。現状では全く法門法義の話はしていない。こんな所で止まっているのである。創価民としては相承は認めたくない気持ちは分かる。認めちゃったら「日顕宗」だと言っている創価は大間違いのということになるからな。それにそもそも男児さんとオレの対話は本尊義の話をする予定だった。本尊義の話をするのにその前提で日顕上人への相承の有無なんて何の関係もない話だろ。男児さんは66世・日達上人までの相承を認めているのだからこれで十分なのに無関係な日顕上人への相承の話をこんなに延々としているのもバカらしい。ただ男児さんが主題として以上この主題に対する結果は出さないと対論にならない。こんな風に御託並べて駄々こねていても対論は進まないんだな。余計な事は言わずに聞かれたことに答えるのが対論だろう。それができない相手とこれ以上対論をしても話がすり替わる度に元に戻して、余計な事は言わんでいいと注意して、最後は御託ならべて駄々こねられて終わりということになりかねない。それだと時間の無駄なんだよなぁ。どうせならもっと有意義な話したいんだけど。どうしましょ?


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