創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

日精上人への創価の誹謗について。

先日、創価の日精上人に対する誹謗についてのご質問をもらったので今日はその件について書いておく。

創価は日精上人が造読・造仏などの謗法を犯したと以前から誹謗しているが、

その主張が全くの想像の域をでない、いや妄想・・いやいや単なる誹謗中傷で日興門流の血脈相承を貶めんがためのプロバガンダに過ぎないことは今や日興門流の僧俗の破折で明確ではあるが、多くの学会員さんが創価の患部・活動家に騙されてるのは見捨てて置くわけにはいかない。詳しく創価の精師に対する破折は他サイトに譲るとして今日はなるべく分かりやすく創価の精師に対する誹謗を指摘しておく。(取り敢えず造仏を中心に書く)

 

まず、精師の造仏に関する文証と呼べるのは、精師著作の「随宜論」、北山本門寺の通称「北山文書」、要法寺寿円日仁の「百六箇対見記」、日因上人の「日因随宜論批判」である。このうち「北山文書」と「「百六箇対見記」は大石寺を批判するために書かれたもので信ぴょう性に欠ける。特に「北山文書」は奉行所に提出する予定だったが提出できなかったところを見ると内容に虚偽があったと思われる文書である。また精師の「随宜論」は精師が法主に登座する以前の書で大檀那である敬台院の強い意向で法詔寺への造仏を許したことに対する宗内の僧俗の疑問に対するご指南と言える書だ。もちろん「随宜論」との名が示すようにそれは仏像に執着があった敬台院を善導するため宜しきに従って説いたところの方便である。故に因師の「日因随宜論批判」は方便を批判したに過ぎない。大聖人も門下を善導する方便として仏像建立した門下を称えている御書も多くある。時代は下って創価大作が御本尊を勝手に謹刻したがそのうちの一体が日達上人から許されたのが創価本部の本尊だ。これが許されない謗法であるのならば大聖人も謗法なのか?仏像どころか本尊謹刻の謗法を犯した創価大作を信心の上から許された日達上人は創価ロジックでいば精師以上の大謗法の法主となるだろう。そして本尊謹刻の創価大作もまた大謗法ということなる。敬台院の造仏は許せなくて、創価の本尊謹刻は許してちょっていうのは随分と虫のいい話じゃね~か。

 

さて、ではそれ以外に日精上人が登座後も造仏・造読していたという文証はあるのかね?「無い」んだよそんなものは。

こう書くと「造仏しなかった文証出せ」とか狂ったこと言い出す罵活動家がいるが、造仏・造読しないなんてのは当たり前の事でそんな当たり前のことをわざわざ書き残すわけね~だろ(笑)「造仏がなかった」という文証が無ければ謗法を犯したという理屈なら日興上人から全員「造仏・造読していたかもしれない法主」に認定されるっての。文証などなくても現在の大石寺を見れば一目瞭然だろ。大石寺の何処に仏像が安置されているんだ?え?後の法主が撤去した?へ~宗内にそんな記録があるのかね?で?いつ誰が撤去したんだ。そもそも精師が造仏・造読の謗法を犯していたなら同時代の門流の僧俗がその旨を書き残してるはずだがそれもない。それどころか

 

◇駿州富士大石寺は開山日興上人已来四百年に及び当時まで法義少しも違乱仕らず候(第22世日俊上人)

◇而して後、法を日目に付し、日目亦日道に付す、今に至るまで四百余年の間一器の水を一器に移すが如く清浄の法水断絶せしむる事無し(日寛上人・文底秘沈抄)

 

と精師を知るご歴代が血脈について一点の疑義もないことを書き残されている。さらに創価が精師を誹謗するときに利用する堀日亨上人ですら精師によって血脈相承が汚されたかの如き発言も文証もないのである。さて創価罵活動家は日亨上人が精師を批判したことを持ち出しし精師批判を口にするが日亨上人の精師批判は詳細は省くが完全に誤読だ。精師が要法寺出身だったことで先入観もあっただろう。ただ精師自ら「日蓮聖人年譜」の中で要法寺・日辰の邪義を破折してるのだから亨師の精師に対する批判は誤解であることは間違いない。

こう言えば「法華講のくせに歴代法主を否定するのか」「歴代の法主でも誤読などの間違えを犯すじゃないか」と鬼の首でもとったようにはしゃぐ罵活動家もいるが、そもそもが「法主無謬」なんていう教えなんてないわけで、法主であっても日常的な間違いや勘違い失念があって当然でありそれらが存在したからといって唯授一人血脈を否定することにならない。また日亨上人の精師批判を否定したところでこれまた唯授一人を否定することにはならないのである。そもそも亨師の精師批判は法門法義でなければましてや法体に関する話ではなく、文献・歴史といった学問的見地なのである。そうした学問的見地に時の法主の誤解があろうとなかろうと全く血脈相承を否定する根拠になんぞならないのある。そのような事を持ち出して唯授一人血脈を否定しようとするザマは正に不相伝の身延と同じで唯授一人血脈が何であるか理解できていない不信心のヤカラなのである。

 

◇「唯授一人嫡々血脈相承にも別付総付の二箇あり、その別付とはすなわち法体相承にして総付は法門相承なり、而して法体別付を受け玉ひたる師を真の唯授一人正嫡血脈附法の大導師と云うべし」(日応上人・弁惑観心抄)

 

との日応上人のご指南の通り、ご歴代に流れる唯授一人血脈とは「法体相承」なのである。故に学術的見解に間違いがあろうと、そしてその学術的見解の間違いを指摘しようと、唯授一人血脈には何の関係もないのである。

法主が造仏・造読の謗法を犯した。などという無根拠の妄想を吐き唯授一人血脈を否定せんとする創価罵活動家こそが謗法なのである。「法体相承」を否定するということは「法体」そのものを否定するということであるという道理すらわからない現在の創価罵活動家は、大御本尊を否定すれば自宅の本尊も否定することになることすらわからなくなった一闡提なのだよ。

何はともあれ、日精上人が生涯「造仏・造読」の邪義を犯した謗法の法主というのであれば、

ハッキリとそれを証明する文証を出してみせろということだな。

ハッキリと日精上人が造仏・造読を指南した文証をあげてみろって話だ。

少し前に対論しに来て2ターンでバクれた創価のH君じゃないが、

創価の謗法プロバガンダに乗せられて騙されはいけません。

本当に大聖人の仏法を信じているのであればちゃんと自分自身で勉強することです。

それができないのであれば、自分は「創価大作教」であると素直を認め

今後は自らを「創価池田教」と名乗り、宗門のことをちゃんと「日蓮正宗」と呼び

自分たちは日蓮大聖人とは無関係です。と宣言したまえ。

 


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