創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

六巻抄拝読の為の基礎知識③(三重秘伝抄②)

今回は「三重秘伝抄」の第2回目で前回の続きからでここからは冒頭の開目抄の【一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底に秘し沈めたまえり、竜樹・天親は知って而も弘めたまわず、但我が天台智者のみ此れを懐けり等云云。】

の御文の10の義の説明になります。

第一に一念三千の法門は聞き難きを示すとは

最初の義としてこの御文は「一念三千の法門は聞き難い」という意味ががあるということです。ここでいう一念三千の法門とは法華寿量品の文底の事の一念三千のことで具体的には戒壇大御本尊のことです。「聞き難い」とは信受することが難しいということです。即ち「戒壇大御本尊様を信受して本門の題目をあげることは難事」であるということです。自身が信受することすら難事ですから折伏は難事中の難事ということですね。

第二に文相の大旨を示すとは

ここは、冒頭の文を「標・釈・結」の三段に開いて天台の三種の教相と比較している段です。【但法華経の但の字は是れ一字なりと雖も意には三段を冠するなり。謂わく、一念三千の法門は一代諸経の中には但法華経法華経の中には但本門寿量品、本門寿量品の中には但文底秘沈なり云云】とあるように「但」の1字は「法華経」「本門寿量品」「文の底」の3つの言葉に掛かっているので「三重の秘伝」であるということです。また結の部分は「三重秘伝」された戒壇大御本尊は正法・像法時代には流布されていないことを示していて、それはとりもなおさず大聖人仏法が釈迦仏法を継承したものではないということであり大聖人が本仏であることを示しています。

第三に一念三千の数量を示すとは

ここは一念三千の「三千」の数量を示しているところで、100界(10界×10界)1000如是(100界×10如是)3000世間(1000如是×3世間)が「三千」の意味といわれてます。【此こに二意あり、一には如是に約して数量を明かす、所謂百界、三百世間、三千如是なり。二には世間に約して数量を明かす、所謂百界、千如是、三千世間なり。開合異なりと雖も同じく一念三千なり云云】とは天台の摩訶止観第5に書かれている一念三千の文は「開釈」と「結成」の2カ所あって、解釈の文は最後に如是に約し、結成の文は三世間に約しているので「三千」の数え方が違いますが意味としては同じということです。

第四に一念に三千を具する相貎を示すとは

この段では、一念に三千が具しているという証拠(現証)としてのその「相貎」を十界を中心に説明されている段です。「仏界」の相貎は非常に分かりずらいのですが、本文では法華経を信ずる心強きを名づけて仏界となす】と言われ戒壇大御本尊を信じる心、相貎でいえば自行化他の題目を唱える姿が仏界であると言わています。仏界(大御本尊)を信じることができるのは自分の中に仏界があるからです。反対に法華経を謗ずる心強きを悪業深重と号し地獄界と名づくるなり】

とあるように創価活動家のごとき大御本尊誹謗の姿が地獄界の相であるということです。

第五に権実相対して一念三千を明かすことを示すとは

ここは三重秘伝の「但法華経」の部分です。「但法華経」ということは権経である諸経典には一念三千の法門は説かれていないということを述べた段です。この段の冒頭の「次ぎの文に」云々とは開目抄の三重秘伝の冒頭の文の後にかかれている開目抄中の御文です。権経に一念三千の法門がない理由を二つあげています。一つは行布(差別)があるので十界が隔別なので100界にならない。もう一つは権経は久遠実成を説いていないので迹(仮の教え)であるということが書かれています。

というわけで今回はここまでです。次回は三重秘伝抄の後半を書きたいとおもいます。


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