創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

今年も創価による年末の大聖人詐欺が始まります。

11月28日から創価の財務だそうです。なんでも今年は「希望者多数」の為広布部員の2次募集をしたとかしないとか?きっと広布部員も減っているんでしょうね。要は財務する会員を増やせよって話ですね。誰が好き好んで創価に金を払いたいというんですかね(笑)まぁ払いたい人は最初から広布部員になってますから2次募集というのはある意味無理くり広布部員にするということです。で新規の広布部員を増やすために使う手が「功徳話」です。毎年この時期に書くのでもう聞き飽きたという読者の方もいるとは思いますが、毎年が大聖人の御書を悪用して詐欺を働いているのでオレとしても毎年書かざるをえないんですよね。いつも言っているように創価が運営費を集金する事を悪いと言っているわけではありません。これだけ金が有り余っているのに毎年運営費を徴収ししかも使途不明にも関わらず財務する創価民はバカだなぁとは思いますがお金の使い途は十人十色だし、財務をしている創価民はオレの家族でも友人でもないので別に関係ないわけですが、財務には功徳があるとか宇宙銀行だとかそうのようなウソをついて集金する手口が詐欺だと毎年訴えているわけです。しかも大聖人の御書のご聖訓を利用して集金するなど言語道断です。今回も聖教新聞紙上でダーハラ怪鳥が財務について次のように言ってます。(以下太字は聖教新聞から引用)

いよいよ今月28日からは、財務納金が始まります。御聖訓に「供養し給ういづれも・いづれも功徳に・ならざるはなし」と仰せの通り、総本部が着々と整備され、創立90周年、さらには100周年へと、世界広布が勢いを増す中で、それを支える財務の功徳は計り知れません。

ここで引用されているご聖訓は「兵衛志殿御返事」の冒頭を切文した御文です。この冒頭の御文は以下の通りです。

◆四季にわたりて財を三宝に供養し給ういづれいづれも功徳にならざるはなし

「財を三宝」に供養すればいずれも功徳にならないものはない。というのがこの御文なのに「財を三宝に」という一番重要な部分を省略しているわけです。もう酷すぎる「切文」です。創価民は御書を読まないからダーハラ怪鳥のイカサマ切文を鵜呑みにして創価の財務に功徳があるように自分も思い他人にもそう言ってしますわけです。創価の総本部を整備することは三宝に対する供養なんかじゃないでしょうよ。そもそも創価三宝なんて無いんです。口ではなんとでも言えますが現実的には創価三宝は存在しない。存在するなら具体的に創価三宝を挙げてその理由を説明して見せろって思いますね。最近よく聞くのは「僧」とは僧伽の略で出家に限らないから「創価」を僧宝扱いする莫迦がいますが、単なる「僧」と「僧宝」は別物。創価も僧である。まぁここまではいいけど、「僧宝」じゃね~だろって事です。三宝は一体なのだから「僧宝」というのは法宝・仏法と一体の僧のことで、創価ごときは僧は僧でも「邪宗の僧等」です。じゃぁ三法一体の体とは具体的には誰かといえば当然日蓮大聖人そのお方であり、現在でいえば大聖人の色心二法の当体(即ち生身の大聖人)である戒壇大御本尊であるというのが、創価が僧宝と認めている日興上人以来の日興門流の教義なのです。その大御本尊に対するご供養は「いづれいづれも功徳にならざるはなし」なんです。大御本尊を捨てた創価には事実上の三宝は存在してないから創価の活動は広宣流布でもなんでもない単なる創価の活動。その活動を支援したところで「功徳」はない。それにも関わらず「功徳がある」と会長自らウソをついて集金するから「創価は詐欺」だという事です。同新聞には続いて

世間では、架空請求のハガキやSNS・メールが届くなど、年々、詐欺事件が巧妙になっています。改めて確認すれば、振込用紙に記載された振込先が変わることはありませんし、財務を誰かが預かるようなことも決してありません。

とダーハラが言ってますが、言ってる本人が創価詐欺の張本人ですから笑えます。仮に創価民が大聖人様にご供養していると思っていても大聖人は謗法の供養は受けませんので残念ながら功徳は出ません。いやむしろ謗法団体の創価に財務することは百害あって一利なしです。毎年同じ話で恐縮ですが「功徳はない悪業を積むだけの創価の財務」はボイコットしてくださいね。ダメですよ振り込んじゃ。バリカツや幹部に騙されないようにしてくださいね。


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