創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

池田教の闇は深いな。

昨晩、創価活動家時代の後輩達と4人で飲んだ。

その中の一人のNとは3年ぶりくらいの再会だ。

3年前は4人とも創価学会員だったのが、3年経った今は、

Nだけが創価で後の3人は俺を含めて現在では法華講員である。

そうなるとまぁ自ずと信心の話になる。

俺たちは当然のことながら大御本尊を捨てた謗法団体の創価から離れ、

勧誡をうけて大御本尊の元に戻った方がいいと勧める。

Nは絵に描いた創価一家の学会2世なのだが男子部時代に、

御書を通して大聖人仏法の法門法義をイヤというほど言ってきたので話は通じるかと思いきや、予想に反して話が通じなかった。

いや、大御本尊が根本という事とか大聖人がご本仏ということは一応は分かっているようなのだが、

それ以上に「池田教」だったことに驚いた。

彼が言うには彼は池田センセが大好きらしい。

日蓮大聖人よりも池田センセの方が好きだ。といい自分は「池田教」だとも言っていた。

だから仏法の正邪よりも池田センセが好きだという感情の方が大きいらしいそうだ。

自己矛盾とは思うが池田センセが好きなので変われないらしい。

まぁ、人間は感情の生き物だからそれは全く否定する気はないが、

Nについていえば男子部時代に散々一緒に活動してきたから

もっと大聖人仏法を理解しまた信じていると思っていた。

なので「池田センセ大好きの池田教でいい」と彼が言ったときにはちょっと衝撃的だったな。

「池田センセだぁ~い好き」ってハズキルーペのCMか(笑)

まぁ俺だけなく一緒にいた他の二人も同じように彼の発言にビックリしてた。

でも「コレ」なんだな。創価活動家達が創価を辞めないのはとも思った。

どんな詭弁を使っても今の創価の教義は明らかに大聖人仏法ではない。

大御本尊を捨てた時点で創価の教義は破綻し謗法団体となったのは明らかだが創価を捨てない。

それは法門・法義よりも御本尊よりも大聖人よりも彼等にとっては池田センセが大切だということなのだろう。

創価の闇は深いなぁと思うし、邪師に従う事の怖さを感じる。

◆若し道心有らん者は彼等の邪師を捨てて宜く予が正義に随うべし、(本因妙抄)

のご聖訓も「池田教徒」の前ではただ空しいばかりだな。

法より人。正邪より好き嫌い。もうこうなると何とも言いようがないのだが、

そのような会員しか残らないとなれば創価は滅ぶことは必定だから

長い目でみれば信心ではなく感情優先の会員が多いにはいい事なのかもしれない。

「池田センセが大好き」世代なんて年々減少しているだろうし、

「センセ大好き」会員がいなくなれば組織崩壊は目に見えている。

Nも「池田先生がご存命の内は」は創価でいるらしい(因みに現在彼は非活)

それも良くわからない理屈だが、同じことを言う創価民は多い。

創価本部が大作センセに死んで欲しくない気持ちもわかるよな。

今死なれたら困るよなぁ~(笑)創価本部とすれば痴呆のまま長生きしてくれるのが一番だよな。

それはさて置き、さてさて「池田教」を名乗るNだが、

可愛い後輩だから硬軟織り交ぜながら、じっくりと再折伏していかないとな。

好きな人の為に無間地獄にいくのを見捨てておけないからな。

俺にとっては、大作センセより後輩の方が大切だからね。

この際、大作センセが死んでくれれは話は早いんだけどね(笑)


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