過日、俺の所属する地区の座談会に久々に参加した。
今月はご住職への質問会というような内容だった。
いきなり質問ありませんか?と聞かれても咄嗟にでてくる質問と言ったら教学的な話になっちゃうよね。しかもマニアックな。
そんな質問を急にされてもいかにご住職といえども困るだろうから俺は質問しなかったのだけど、
別の講員さんが「お給仕」について質問をして、それに対してご住職が答えられていて色々と知ることが出来て良かった。
なにせ創価では「お給仕」について特に何も教えてくれないからね。
初信の頃、「仏飯」のお供え方について嫁が訊いた婦人部幹部とと俺が訊いた男子部幹部と微妙に違う事言っていて
実は何が正式なのか実はよくわからなったのだけど、ご住職に正式な給仕の化義を教わってスッキリした。
こんなことを書くと今の創価活動家達は、「給仕」について御書に書いていないから自由でいい。とか
「給仕」などという形式的なことは成仏とは関係ない。とか言うんだろうね(笑)
多分、今の学会員は「給仕」なんてやらない人が多いんだろうね。
仏飯やお水はもちろん、樒も下手すると線香も炊かないかもね。
仏壇の前に三具足もなく代わりに大作センセの写真とか飾ってあったりして。
なにせ、勤行すら方便品・自我偈1座勤行で済ませる人たちだから、「お給仕」なんてしないんだろうな。
御本尊に「お給仕」するのは、日興上人が大聖人に随身給仕をしたのと同じなんだけどね。
確かに創価のカラコピ掛け軸に給仕するのは仏法の本義ではないしする必要がないと言えばそれまでだけど。
でも創価の連中は、カラコピ掛け軸を大聖人の御本尊だと思っているんだからちょっと扱いが雑だよな(笑)
給仕もしないで題目あげて功徳を貰おうなんざ浅ましいね~。
「給仕」などの化義を軽く見るのは「信心」がないという証だからね。そんな連中が題目あげてもねぇ。
◆然る間仏の名を唱へ経巻をよみ華をちらし香をひねるまでも皆我が一念に納めたる功徳善根なりと信心を取るべきなり(一生成仏抄)
と大聖人は言われ、日有上人も「化義抄」のなかで
◇行躰、行儀の所は信心なり、妙法蓮華経なり而るに高祖、開山の内証も妙法蓮華経なり而るに行躰の人をば崇敬すべき事なり云云。
とご指南されている。
また昔の大作センセの指導で、「行体側信心」とか「小さなことを疎かにしない」という指導してたでしょ?
そして創価の活動家が大好きな「人の振る舞い」という御書もあるよね?
にもかかわらず、今の創価では日々の給仕もできずやり方も知らず教えもしないのだから呆れちゃう。
創価で教えるのは選挙でのFのとり方とか、報告の仕方とか、組織の運営の仕方とか、そんなのばかり。
そんなことを教えているヒマがあったらもっと「信心の基礎」を教えるべきだと思うよ。
まぁ「創価信心の基礎」は選挙なんだけど、そんな事ばかり教わってそれが「仏法」だと騙されている会員さんは哀れだな。
本当はちゃんと信仰したい人もいるだろうに、創価にいたら一生大聖人仏法の信仰はできないだもんな。