記事中の「赤文字」は『化義抄』から「青文字」は日亨上人の『註解』、「黒太字」は日達上人の『略解』からの引用文といたします。
【第89条】法華宗の法師は他宗他門の人に交わる時は我が人体の分程と振舞ふべし、解怠すべからず、又卑劣すべからず、俗姓程になるべし、我が法華宗の中にては貴賎上下を云わず仏法の信者なるが故に卑劣すべからず云云。但し檀那に依り不肖の身たりと雖も上座に居する事有り云云。
本条項は、当宗僧侶の宗外・宗内での他者に対する振舞いに関する化義です。最初に宗外の人と接する時は礼節をもって(解怠すべからず)卑屈になることもなく世法上の自分の身分の程に応じて振舞えばよい。宗内においては御僧侶として卑屈になることなく振舞えばよいということで、宗内に対する態度を世間一般的なお付き合いに持ち込んではいけないということです。信徒においても同様で、宗内においては御僧侶は例え御小僧さんであっても敬うのが信徒の心得です。また宗外の人に対しては世間の常識をもって付き合っていくべきです。よく創価の幹部で創価の役職をそのまま世間に持ち込み偉ぶる人間がいますし、創価民は全体的に「自分の方が一般人より偉大だ」と思っているフシがあります。そのような思い上がりが世間から非常識と思われる原因です。私達法華講員も十分に気を付けなければなりません。(特に元創価の法華講員は)確かに、尿法を持った私達は仏法上では妙法を持っていない人達より高位と大聖人が言われていますが、それはあくまでも宗内における話であり宗外の方達に対してそのような振る舞い・言動をしてはいけません。あくまでも常識的に振舞うことが大切です。なお【檀那に依り不肖の身たりと雖も上座に居する事有り云云。】の御指南は上古の日興上人時代よりも穏和されています。
◇日興上人の遺戒置文に「若輩たりといえども高位の檀那より末座に置くべからざる事」とあり、時代によって幾分緩和しておるものであります(化義抄略解)
【第90条】本寺に於て小師を持ちたる僧をば小師に届けて仏の使なんどにも、檀方へも遣わし其の外の行体をも仰せ付けらるるなり云云。
本条項は、全て御僧侶が法主上人の元で出家得度する現代においては当てはまらない条項ですが、『行体』の大事を述べられている大切な条項でもあります。日亨上人は、
◇「行体」とは水を汲み華を摘み菜つみ薪とりより始めて・其外日常の義務なり、事行の本宗にては行体が肝心なり、一信二行三学の順序はあれども、行体なくんば信心を彰はすに由なく・講学を積むも詮なきものなり、然るに吾等動もすれば・布教の急なる為に講学の忙がしき為に・事務の劇なる為により、報恩給仕読経拈花の行体を等閑に付せんとする事あり・慎まざるべけんや。(註解第38条)
と本条項を註解しています。『行体』とは日常的な業務のことで私達信徒においては『お給仕』のことです。『お給仕』とは御本尊様・師匠に使える行為です。折伏や教学研鑽、その他の活動が忙しいといってお給仕を蔑ろにすることを日亨上人は厳に戒めています。私にとっては本当に耳がイタイ御指南です。創価活動家時代は、日亨上人のご指摘通り学会活動が忙しくでお給仕を蔑ろにしていました。学会活動さえ頑張っていればそれでいいとの思いがありお給仕など全く心にかけませんでした。でもよく考えれば、いくら唱題しようと折伏しようと教学があろうと、お仏壇が埃だらけで御供物もなく樒も造花では信心があるなんて到底言えないのは当然のことです。【法華経を我が得しことは薪こり菜つみ水汲み仕えてぞ得し】との行基の歌にもあるように日々のお給仕こそ勤行・唱題とともに大切な『行体』『化義』です。私は正宗に移籍してその事を教えてもらって本当に良かったと思っています。もっとも、創価の海賊版本尊には埃まみれの仏壇が似合っているのかもしれませんね。
【第91条】本寺へ登山の諸国門徒僧衆は三日の間は仏の客人たる間賞翫之れ有り云云。
本条項は各地から総本山に登山する僧俗は3日間は御本仏の客人としてもてなされる。という化義です。昔の登山は徒歩で何日もかけて参詣にくるのですから総本山ではそうした僧俗は厚くもてなされたのです。現代では交通の便もよくなりこうしたこも無くなりましたが大正時代の最初の頃までこうした風習は残っていたようです。しかし現在でも総本山では登山者に対して様々な配慮をしてくれます。日亨上人の
◇此の賞翫を受け厚遇に預る僧檀の客人達は・随処に敬虔の信念を発揮し敢て尾籠の真似して御客ぶりを悪くせざる様に注意すべきなり。(註解第37条)
との御指南の通り私達は総本山における御僧侶方のご配慮を当たり前のように思ったり、不足に思い不満を口にするのではなく「有難い」と思って御登山に望むべきですね。そもそも、こちらがお願いして御開扉を受けさせてもらっているという事を忘れてはいけないと思います。「御開扉料を払っているのだから俺は客だ」なんて思うような法華講員さんはいないとは思いますが。
【第92条】釈迦の末法なる故に在世正像の摂受の行は爾るべからず、一向折伏の行なるべし、世、嶮なるが故なり云云。仍て刀杖を帯するなり、之れを難ずべからず云云。
本条項も現在では刀杖などの武器を持つことなどありませんので現代に対応する化義ではありません。儀式として形だけは残っているようです。
◇日有上人の時代は足利時代で戦乱絶えず、身命の危険があったからで現在は刀剣等は持つことは出来ませんが、本山での大儀式における法主上人の出仕の列には太刀を太刀持ちに持たす慣例として遺っている(化義抄略解)
しかし本条項の精神は失ってはいけません。現代における邪宗・邪義に対抗する武器は『言論』です。創価や顕正なども邪義・デマ・悪口に対しては『言論』という武器を持って戦い対抗するのが折伏であり護法です。法華講員さんの中には創価や顕正に対抗している同門(このブログもそうですけど)に対して非難する人も時々見受けられますが、【之れを難ずべからず】というのが日有上人の御指南なのです。もちろん私達は正しい言論によって戦わなければいけませんが、闘っている同門を非難するのは本条項に違背する行為であると思います。
【第93条】法華宗は折伏修行の時なる故に、断酒、定斎、夏に入るなんどといい、又断食なんどと、云う事有るべからず云云。
本条項は「断酒」「断食」または、期間を決めて戒律を守る(定斎)などの修行は行わず折伏行の修行すべきことを御指南された条項です。創価時代にたまに「禁煙」とか「選挙が終わるまで○○しない」とか言って唱題したいた会員がいましたが、「願掛け」じゃありませんからそんなことをしても何の意味もありません。ちゃんと食べてちゃんと寝て朝晩の勤行を清々しくして折伏弘教をしていけばいいのです。もちろん、お酒を飲んでもいい。ただし、飲み過ぎて次の日に朝の勤行が出来ないっていうのはいけません(笑)いまから思えば創価男児部時代は、「寝ない」「食わない」の難行苦行だったような気がします。「止暇断眠の戦い」とか言っちゃって。(笑)師匠の池田がまさか昼頃まで寝てて「0分勤行按摩付き」とは思いもしませんでしたね(泣)
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