創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

御書の話①

今日は御書の話を書こうかと思う。

鯛焼き支部長など創価の活動家の主張を聞いていると「本当に御書を読んでいないんだなあぁ」とつくづく感じる。

自分達の都合のいいような切文をネット拾って書いているだけの空しい教学モドキにはうんざり。

御書というのは読み方があるんですよね。それを無視して切文だけつなぎ合わせても分からないし、

そもそも創価切文だと他の御書との整合性すらなくなってしまうわけです。そんなモノは教学でも何でもないわけです。

「読み方」に関してはがいろいろとあるのだけど、それはいずれおいおい書くとして

今日はそんな難しい話じゃなくて「とりあえず御書を読みましょう」という話です。

とはいえ、御書というと字は小さいし分厚いし分からない言葉や単語があるし・・ってな感じでなかなか読む気になれなですよね。

でもね最初は分からなくてもなんでもいいんです。とにかく御書を開くというのが大切です。

私が創価男子部活動家時代は会合には「御書」は必ず持参でした。

というか私が主催する会合はほぼ毎回御書講義がメインなので御書を持ってこないと話にならないのです。

座談会の御書講義も当時から男子部が担当してましたが、大百ではなく必ず御書を開いて講義するように指導?してました。

御書はまず受持することが肝心なんですね。

そのためにはどうするかと言えば、いつも手にできる所に安置する(笑)ケースに入れてキレイに書棚に並べていてはだめですよ。

ケースから出していつでも開ける所、目に付くところに置いてください。(御書カバーをするといいです)

私はいまでもほぼ毎日御書を読んでいるのだけど、御書の安置場所は仏壇の周りです。

朝夕の勤行・唱題後に必ず読むようにしています。御書の他にも法華経・六巻抄・文段なども仏壇周辺に本棚ではなく畳の上に平積みで置いています。勤行が終わると必ず目に入る場所に置いてあるので仏間から出る前にどこかしら読みます。

別に仏壇の横じゃなくてもいいんですよ。ベットの枕元でもいいし、怒られるかもしれないどトイレでもいいと思います。

要するに毎日自分の目に触れて手の届く場所に置いておくことです。

因みに私はトイレの中には戸田城聖全集とか、法難史とか富士宗学要集とか何冊か代わる代わる置いてあります。

ベットの枕元にも何冊か教学や破折関係の本が置いてあります。

御書は「習うよりも慣れる」ことが大切なんですよ。とにかく毎日御書を開くことが最初の一歩です。

で、よく聞かれるのは何の御書から読んだらいいか?ってことなんですけどぶっちゃけなんでもいいです。

「勉強しよう、研鑽しよう」なんて思わなくていいです。

1篇まるまる読む必要もありません。2行でも3行でもただ一節・一文でも構わない。その代わり毎日読む。

学会員さんだったら、聖教や大百に載っている御書。法華講員さんも御講で扱った御書や新聞に載っている御書。

その御書の一文を中心にその前後を読めば立派なものです。何度も書きますが「御書を開いて読む」のが重要なんです。

御書を開かないで本や新聞やプリントで御文を読んでいるとその前後が分からないでしょ。そうすると創価切文教学になっちゃうわけです。また御書には「通釈」も「解説」も書いていないでしょ。「通釈」はともかくとして「解説」なんて余計なものがついていると先入観が入っちゃうのです。そういった先入観なしで読んで自分が何を思うか?というのが大切なんです。だから余計な「解説」のない御書を直接拝すことを勧めているわけです。

法華講員さんの今の御書は編年体になっているので問題ないですが、御書は「編年体」のものがいいです。(創価編年体になっていない御書を使う人が多いけど)編年体だとある御書の前後の御書を読むことが出来るのでより多くのことを学べるからです。そうやって少しずつでも毎日読んでいると自然と読めるようになるんですよ。これが。(笑)

まぁ良かったら試してみてくださいな。

それともう一つ重要なのは「感じる」ことです。何度か書いているけど御書は「分かる」ことより「感じる」ことが重要なんです。

「感じることが出来ない人」はいくら御書を読んでも結局「分からない」のです。無信心の人が御書を勉強しても「分かっていない」のは「感じていない」からなんですね。だから「分かろう」なんてする必要はないので、何かを感じて欲しいのです。自分で何かを感じたらその一文にマーカーしたり書き込んだりすると年数が経ってからそれを読むと自分でも教学力UPしたなぁって思いますよ。

私も初信の頃の自分の書き込みを見ると「この頃はこんなこと知らなかったんだなぁ」ってしみじみ思ったりします。

御書に書き込みするのがいいか悪いか分からないんですけど、

そんなわけで私の御書は書き込みだらけで他人には何が何だか分からないような凄いことになっています(笑)

御書辞典と要文集などもあれば御書の側に置いておくと便利ですね。

特に最初の内は分からない仏法用語が多いので「御書辞典」はかなり役に立ちます。

調べたら御書に書き込んでおくとそのうちに「御書辞典」は不要になりますよ。

おさらいすると、御書は「習うより慣れろ」「分かろうとしないで感じなさい」です。

これは私が男子部の幹部時代に部員さんに言い続けてきたことです。

それだけで教学力はすぐに向上します。教学が向上すると信心もまた強くなります。本当ですよ。

最後に、短めですぐ読めて比較的読みやすい御書をいくつかご紹介しますね。

「一生成仏抄」「生死一大事血脈抄」「曾谷殿御返事(成仏用心抄)」「阿仏房御書」「経王殿御返事」「四条金吾殿御返事(衆生所遊楽御書)」「単衣抄」「乙御前御消息」などなどまだまだありますけど、まずは自分が読みやすい御書から読んでくださいね。


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