創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

鯛焼き支部長の幼稚すぎる詐術を嗤う。

ひごちゃんさんと鯛焼き君の対論が終わったようです。まぁ鯛焼き君のような教学力ゼロ人間に何をいっても理解できないから適当なところでやめて正解です。ひごちゃんさんが再びのコメント欄に鯛焼き君のコメントの転載をしてくれましたが今回は本当に酷い内容です。もっともひごちゃんさんが言うように破折されつくされた10年前のネタを書いているだけなのでいちいち今更あんな駄文に回答することもありませんね。ただ今回の鯛焼き君のコメントには創価活動家が使う「ダマシのロジック」が満載でしたので、今後創価活動家と法論・対論をすることがあった時の場合のために創価鯛焼きのの「ダマシ論法」を解説しておきます。(以下太字はひごちゃんさんが転写してくれた鯛焼き君のコメント)

ダマシ論法1「話題変換・拡散話法」

▼また過去にも17世日精上人はじめ大聖人の本義に外れた僧侶がいたのは歴史的事実です。

▼日精上人以外にも近年で言えば日開上人、日恭上人、そして日顕上人。残念な事実ですが。

今回のひごちゃんさんとの対論は、草木成仏の法義である開眼が御本尊に必要か否かというのがテーマです。

つまり開眼について法門・法理での話をしているわけです。にも拘わらず対論のテーマと全く関係ない日精上人等の御歴代の話を始める。これは、自分が回答できないので話題をすり替え論点を拡散させる。ダマシ論法です。うっかりこの話に食いついたらいつの間にか「草木成仏」や「開眼」といった法門から離れ根拠もなにもない創価新報ばりのくっだらない話にどんどんすり替えられてしまします。このように創価が話題を変えようとするのは回答できないからです。今回で言えば鯛焼き君は「草木成仏」の法義を「理解できていない」ということです。彼等は正宗をはじめとする他宗に対抗するロジックが全くないのですよ。インチキ新興宗教の悲しい性といえばそれまでですが、このような時は新しい話題に反応してはいけません。法華講員さんだと御歴代のことを言われるとつい反応してまうの気持ちは分かりますが、冷静に論点となっているテーマだけで責めましょう。

ダマシ話法2「文証出したぞ詐欺」

鯛焼き君は私から文証なければ邪義といわれたのが悔しかったのかひごちゃんとの対論では御書の一節を引用しています。

ところが、彼はその引用した御文に自分の勝手な解釈を付け加えるのです。これは「文証だしたぞ詐欺」で良く創価が使う手口です。一応御書を引用しておけば「文証」を出したと思われがちですが、「文証」とは自分の主張の正当性の裏付けですから、その裏付けとなる御文をまた自分勝手に解釈しては「文証」にならないのです。今回彼が引用した御書を読めば普通の人ならば「書写本尊に開眼不要」とか「木絵二像に御本尊は含まれない」などというは書いていないのです。どうしてもそれを言い張るならば、他の御文を更に文証として挙げるか、「木絵二像には御本尊は含まれない」と直接的書いてある御文を引用すべきなのです。そのような御文を初めて「文証」というのです。御書を引用すればなんでも「文証」になるわけでありません。引用した文証にあれこれ解釈をつけてきたらそれは「文証」になっていないので注意深く観察してください。

ダマシ論法3「デマによる印象操作話法」

いよいよ追い込まれた創価が必ず使うのがこのデマを使った「印象操作話法」です。今回彼は

いかに、あなた(とダメ出しブログの管理人)が表面的な字面でしか御書を読めてないことがよく分かる主張です(笑)仏像=御本尊を見なしてしまう低い境涯を恥じたほうがよろしいでしょう。

とこのような「印象操作」を行っています。我々は仏像=御本尊など一言もいっていない。我々が言っているのは御本尊も仏像に含まれる。ということで「仏像本意」などと言っていないのです。ところが彼はあたかも我々が「仏像が本尊である」と言ってるかの如くご丁寧に「身延(日蓮宗)」とまで書いてデマをかいて印象操作しているわけです。そもそもどんなに初信であっても法華講員が大聖人の曼荼羅本尊以外の仏像・仏絵を本尊であるなどというわけがない。それを承知で鯛焼き君はデマを流し印象操作するわけです。しかもそれを言うための文証に「日蓮正宗」の文書を引用しています。「日蓮正宗」の文書を「文証」として引用するのであれば当方も戸田・池田発言を「文証」にしても良いというこですから、ならば「開眼の重要性」について指導は戸田・池田の指導で腐るほどある。つまり鯛焼きは戸田・池田を「日蓮宗」と批判していることになります。

ダマシ論法4「見てきたようなウソを言う話法」

これはダマシ3の印象操作話法と連動して使う手口です。鯛焼きは次のような発言をしています。

そもそも御本尊様を書写する際にステテコ姿で書いていた法主や(笑)

誰がいつステテコ姿で書写していたのか?かつて創価は「いつ・どこで・だれが」はハッキリしないものは「デマ」「ウソ」の類である。といっていましたが、鯛焼きは「いつ・どこで・だれが」はステテコ姿で本尊書写したのか証明しなければいけません。きっと彼はそれを証明することなどできない。何故なら自分ではそんな姿見ていないからです。このように「見てきたようなウソ」を平気でついてデマを流し人格攻撃に転じるのが創価です。「印象操作」と「デマによる人格攻撃」結局創価との対論は最後はこうなることが多いです。それは創価側が法門・法義では勝てないからです。そうそう、言葉遣いがどうこうとかいうのも法門では勝てないことの裏返しです。そしてそれもまた「印象操作」です。言葉つかいのこと言うならば、日蓮大聖人の四箇の格言なんて酷いもんですよね。(笑)そもそもデマによる印象操作するような人間が言葉つかい云々なんていうのはチャンチャラ可笑しいわけです。

この他にも質問スルー」・「質問返しという詐術もちょいちょい使います。これはよく同時に発動するのですが、こちらの質問に答えずに、質問に対して質問で返す。という術です。このような時は相手が質問に答えるまで何度も同じ質問を繰り返しましょう。(現に今回の鯛焼きくんも当方の質問をいくつかスルーしています)

そんな三流詐欺師・鯛焼き君が出した答えと言うのがまた噴飯もので、

>◆日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ信じさせ給へ(経王殿御返事)

こういう事を「開眼」となります。

であれば、御本尊様には「南無妙法蓮華経」と書いてありますね?

なぜ、法主があらためて開眼(何を開眼するのか分かりませんが)をする必要があるのか? まったく答えになってません

だそうです。つまりコイツは「南無妙法蓮華経と書くことが開眼である」といっているわけです。ということはですね。「誰でも好きなモノに南無妙法蓮華経とかけば本尊になる」ということです。自分自身が信じて題目あげてもいいなって思うものに自分で「南無妙法蓮華経」と書けばそれが三大秘法にになるらしいのです(大笑)だったら気持ち悪い創価本尊なんて不要です。自分の好きなモノに「南無妙法蓮華経」と書いて本尊にしましょう。それが三大秘法になるのだから当然創価に入会しなくても創価を退会しても功徳がでて幸福になれるそうですよ。鯛焼き教義は「創価学会に入会しなくても幸福になれる」「創価学会をやめても幸福になれる」らしいですから是非みなさんそうしましょうよ。(片腹痛)早速今夜家に帰ったら好きなモノに「南無妙法蓮華経」とかいて題目三唱いてくださいね。いやはや私も多くの「莫迦活」を見てきまたがここまでのは初めて遭遇しました(笑)

みなさんも、次の創価との対論の時は、創価の「ダマシ論法」に気を付けるのは当然として、

この支部長さんの話を創価活動家に是非教えてあげてください。

私も早速次回の創価対論・創価折伏のときには「現役の創価支部長は南無妙法蓮華経と書けばなんでも本尊になるって言っていたぞ」と教えてあげようと思っています。これもひごちゃんさんがわざわざ当ブログに鯛焼き君のコメントを転載してれたお陰です。本ブログならば半永久的に今回の鯛焼き発言は保存可能ですから。ひごちゃんさんありがとうございます。


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