創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

セカハジさんのご質問への返信。

先日、セカハジさんからいただいた質問への返事を今日は書こうと思います。

なるべく簡潔に私の思っていることを書きたいと思います。(以下太字はセカハジさんのコメントです)

日蓮大聖人の仏法のいいところ、(またこれは失礼かもしれませんが)足りないなと思うところってなんでしょうか?

まずはこの質問の答えてとして逆説的になりますが、大聖人仏法のいいところは「足りない所がない」という事です。

大聖人仏法は純円の教えといい「欠けているとこがない」のが大きな特徴です。

様々な角度から言えるのですが、少しだけ書くとまず「法」の側面から言うと「教・行・証」といって

教=仏の教え・行=修行法・証=修行によって出る結果。のこの3つが全てそろっています。末法の現在では「教」のみあって「行」「証」が欠けている教え(法)ばかりですが唯一大聖人仏法はこの「教・行・証」が揃った法です。

そして「人(仏)」の側面から言うと「主・師・親」という3つの徳があるのですがこれは簡単に言うと衆生を救い・守り・導く力です。この3つの力が揃っているのがこれまた末法今時では日蓮大聖人だけです。

そして、この「法」と「人(仏)」は一体でその本体が大御本尊です。ですから大御本尊には全てが揃っているわけです。

そのことを念頭に大聖人仏法の信仰とはどのようなものかというと、念仏のような「絶対他力」ではなく、かといって禅宗のような「絶対自力」でもないとうところです。人生は自力だけでも他力だけでも切り開けない。自他力の双方が揃って初めて成功や幸福を得られるものだと私は感じてます。私はこんな大聖人仏法を「四力本願」の信心と言ってます。その話は過去に書きましたのでそちらを併せて読んでもらえると幸いです。

http://sokadamedasi.blog27.fc2.com/blog-entry-556.htmlhttp://

たゆまず努力する力とその努力が報われる運。この二つを得ることができるのが日蓮大聖人の仏法です。

創価学会の教義の問題は何でしょうか?

(教学にはまだまだ無知でして、申し訳ないのですが、わかりやすく教えていただけると幸いです。正直なところ、大御本尊については記事を読んでもまったくわかりませんでした)

今の創価の教義は大聖人仏法ではないので創価が大聖人仏法だと言わなければ何の問題もありません。創価がどんな教義を言うと自由です。ただし「仏法」ではありません。誰かが言ってましたが「仏法をベースとした創価(凡夫)の教え」ですから果たしてそれで幸福になるかどうかはわかりません。さてところが創価が卑しくも「日蓮仏法」などと自称しているわけですが、大聖人仏法だというのならば創価の今の教義は全て間違いです。その根本は「戒壇大御本尊を捨てた」ということです。「日蓮仏法」とは、日蓮大聖人を「仏」として立てる仏法の事を言います。そして大聖人を「仏」と立てるのは、大聖人の弟子である日興上人の門流以外にありません。(日興門流とはいうまでもなく日蓮正宗だけなのですが)日興上人は大聖人仏法の一切をただ一人相承したお方ですが

その日興上人に大聖人から授けられた根本の御本尊こそが戒壇大御本尊なのです。ですからコレを捨てるという事は日蓮仏法を捨てるという事になります。また創価は唯授一人血脈も否定しているので日興上人も否定してることになります。大御本尊と血脈相承こそが「日蓮仏法」の根幹ですからそれらを捨てた創価の現在の教義はおよそ「日蓮仏法」などと呼べる代物ではないわけです。創価は自分達の教義変更を懸命に正当化していますが誰一人として創価の現在の教義が正しいという事を論証できまん。日蓮仏法といいながらそれを論証できないわけですから現在の創価の教義は全て自分勝手な教義だということです。自分達で教義を勝手に作りなおかつそれを「日蓮仏法」などいいしかも正当な日興門流の日蓮正宗を誹謗するということが大問題なわけです。

創価学会に入るメリット、デメリット(信仰上、というより社会的なもの)はなんでしょうか

メリットとしてはとりあえず知り合いが増える、ということですが退会するとなるともう付き合いはほぼなくなります。「裏切りもの」「退転者」と罵られたり「地獄に落ちる」などと言われる場合もあります。また創価以外の人間関係が稀薄になって友達と疎遠になる人が多いです。

あとはヒマつぶしができる。とにかく創価はやることが多いので暇な時間が無くなります。暇つぶしくらいならまだしも貴重な時間も無くなる可能性が高いです。趣味や家庭サービスや仕事上のお付き合いなどは諦めたほうがいいでしょう。

それと少し活動するとすぐに幹部になれるので自分より役職が下の会員に指導をすることができます。ただ自分より上の幹部には逆に訳の分からない不条理な指導をされます。上席の言うこと聞かないと除名になるので気を付けてください。

デメリットは、今書いちゃいましたが「金」「時間」「友人」が減るくらいですかね。たいしたデメリットでもないかもしれません(笑)

ですから創価に入会して幸福感を味わえるのは、友達ができなくで淋しい。仕事や趣味や生き甲斐がなく毎日ヒマで充実できない。会社や社会ではうだつが上がらなくて一度でいいから何かの役職を手にしてみたい。というような人だと思います。実際に私が初めて男子部の会合に参加した時は自分の創価以外の周りの友人たちとは人種が違う人たちの集まりだと感じました。こういっちゃなんでけど友達とか彼女とかできないタイプ。もちろん私自身も友達にはなりたくないタイプが多かったです(全員ではないですがそういうタイプが多かったという感想です)ようするに世間や社会では「何者でもない」「何者にもなれない」「何者かになろうとも思わない」そんな方は、創価に入会するとあっという間に創価の中では「何か」になれる。婦人部さんなんていい例で創価内では「ナントカ部長」なんて呼ばれてる方は創価がなければただの友達がいない淋しいオバサンですからそれは創価の中は楽しくて仕方ないと思いますよ。そういう方ならばきっと創価学会が合っているし、創価で幸福感を感じると思います。

ただそれは「信仰」ではないですね。と言うか今の創価には信仰なんて実際には存在していませんからね。

だからいかなるメリットがあっても創価に入会してはいけないと思います。

信仰と人生・社会は表裏一体なんです。お金や健康みたいに自覚ができないから多くの人は信仰と人生を切り離してしまうのですが実は一体。というのが大聖人仏法です。ですから大聖人仏法に敵対する創価に入会しても百害あっても一利なしです。

友達作って余暇を楽しみたいなら、サークルに入って趣味をみつければいいわけです。

公明党の選挙活動を応援したいのなら創価に入会せずに公明党の党員になるだけで大丈夫です。つまり今の創価のメリットは他に何かで十分代用できる、というより他の何かの方が学会活動より絶対に楽しいと思います。

簡単にかきましたが、創価に入会するかどうかはセカハジさんの自由です。

ただひとつだけ覚えていて欲しいのは創価学会日蓮大聖人とは無関係」という事です。

そして大聖人仏法からみれば創価は大謗法の団体である。ということです。

ですから仏法でいう所の「功徳」はなくだた悪業だけを積むことになります。

そこだけ最初に理解していただければあとはご自身の判断ですから無理にとめたりしません。

先ほど書きましたが、人生は誰(何)と出会って誰(何)を選ぶかです。

出会うのは他力であり選ぶのは自力です。

創価と出会い本ブログと出会ったのも他力(運・縁)です。

あとはセカハジさんが自力で取捨選択してください。


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