昨日、今年勧戒受けたS君・O君と本山登山してきた。
少し早めに到着したので境内を散策。
大客殿の前を通って明鏡池の方へ。そのあと中講堂で行われた講演会に参加。
講演会のあとに昼食。「せりそば」を食べた。日興上人の好物の「せり」と日寛上人の好物の「そば」という日興門下最強の昼食ですな(笑)
そしていよいよご開扉。二人共、30年ぶりくらいのご開扉で緊張していたが
大御本尊にお目通りが終わり、奉安殿からでてくると凄く感激していた。
もちろん、俺も感激してでてきた。
二人は、本当に大御本尊の元に戻ってこられて良かったと言っていた。
それな。それ。
昔、戸田会長が言っていたが、ご本仏日蓮大聖人のご当体である大御本尊に
わずか聖教新聞1ヶ月分のご供養でお目通りが叶うのがどれほど幸福なことか。
逆に、大作センセや浅井センセにたぶらかされて大御本尊へのお目通りが叶わなくなってしまった創価や顕正の会員さんたちは本当にかわいそう。
創価は「本尊はどれも同じ」というが、一度でも大御本尊にお目通りすれば、
大御本尊こそ生身のご本仏そのものである。ということがわかるだろう。
また、創価はいまだに正宗が衰退しているだとか
大石寺は荒れ果てている。という見てきたような嘘をいうが
総本山の境内は美しく整備されて、野犬の群れもいないしぺんぺん草も生えていない。
落ち着いていてそれでいて凛とした雰囲気だ。
伝統と歴史が醸し出すなんとも心地よい空間である。
創価の諸君も一度、その目で見に来れば
謗法の山は近づかない?
いいや、違うね。創価の言うような寂れて荒れ果てた大石寺がないという事実を見たくないだけだろ。
新報などに書かれている創価のウソを知りたくないだけなんだろう?
でもね。実際に正宗は衰退していないし、大石寺も荒れていない。
創価の皆さんには残念だがそれが事実である。
大聖人様をご本仏と仰ぐ僧俗のもとで何不自由なく過ごされている。
だから、創価の皆さんは安心して邪宗の道を歩んでくれたまえ(笑)
そして、大御本尊こそ日蓮大聖人そのものであることもこれまたお目通りすればわかる。
創価のカラコピ掛け軸のような「そっくりさん」ではないのである(笑)
外見が「そっくりさん」でも中身はニセモノ。
そんな創価の本尊もどきを捨てて一日も早く大御本尊にお目通りしたほうがいい。
今回のS君が奇しくも言っていた。
もっと早く戻っていれば亡くなった両親も連れてこられたのに。と。
そんな後悔をほかの学会員にさせたくないから折伏する。と。
そのあと昨晩は御殿場の某ホテルに宿泊して
温泉と食事とお酒と信心の話で盛り上がって今日帰ってきた。
最高の2日間を過ごしてきました。
幸甚。幸甚。