韓国の徴用工裁判で日本企業に賠償支払いの判決が出た。
特に韓国に関して個人的にはなんの恨み辛みはないが、さすがにうんざりしている。
「慰安婦」も「徴用工」も、日韓請求権協定ですでに解決済みで、
補償すべきは日本企業ではなく韓国政府であることは明白だ。
それをまたもやそうした約束を反故にて日本企業に支払い命令を出した韓国の司法と
その国内の司法判決を尊重するなどと言う大統領。
案の定、韓国国内では「訴訟を起こす」と血気盛んに盛り上がっている。
そして、韓国外交部は今回の判決が韓日関係に否定的影響が及ぶべきでない。などと言っている。
自分達から因縁を吹っかけきて何を上から目線で言っているのか?
日本政府は今度こそ口先だけではなく、実効性のある「報復」を実行して欲しい。
というか本当はもう付き合いたくない。付き合わないで欲しい。というのが本音だ。
国家同士も人間同士も互いに信頼関係がなければ付き合っていても意味がない。
今までの発言を、その時々でクルクルと変えるような国や人とは付き合えない。
それは「法律」の問題ではなく「信義」の問題である。
そうした「信義」を守れないヤツを人はウソつきと呼ぶ。
かつて戸田会長が創価を法人化するときに宗門と三つの約束をした。
1)折伏した人は信徒として各寺院に所属させること
2)当山(日蓮正宗)の教義を守ること
3)三宝(仏・法・僧)を守ること
この三つの約束を守るという宗門との約束の上で創価の法人化は認可された。
それが今になって創価バリカツは、宗門との間で交わされた“三箇条”は「要望」であって約束じゃない。
創価学会は単独で宗教法人として認可された。などと言っている。
まぁ確かに法律上はそうでしょう。
しかし、もしもその時に正宗が創価の法人化を認めなかったらどうなっていたか?
宗教法人の要件は、ザックリいえば本尊・教義・施設。
当時の創価には施設しかない。それで宗教法人と認可されただろうか?
正宗抜きで創価を単独の宗教法人にするならば本尊と教義を新たに作らなければならない。
それが出来なかったからこそ正宗の本尊と教義をまんま利用したのだろう。
また、当時創価が独自の本尊と教義を作っていたら創価はここまで大きくならなかっただろう。
創価が大きくなれたのは仏法的に言えば、戒壇大御本尊という正しい仏法だった故に広まったのであり
世法的言えば、日蓮正宗と言う伝統仏教であったからこそ怪しい新興宗教という謗りをま逃れたのだ。
そしてそれを正宗が許したのは、戸田会長との3か条の約束があったからである。
これは「法律」ではなく「信義」の問題である。
しかも世法上の話でなく仏法上の「信義」の話である。
戸田の3箇の約束は、日蓮正宗としたのではなく大聖人とした約束なのである。
それを「時代が変わった」「指導者が変わった」などと言う理由で簡単に反故にするだけなく、
大御本尊に関する見解も180度変更した。
自分達の都合のいいようにゴールポストを動かすだけは飽き足らず
にもかかわらず、自分達は悪くない。悪いのは相手の方だ。とロビー活動のような正宗誹謗を続ける。
いくら経済上のメリットがあるとしてもこのような「ウソつき」と付き合っていたら長い目で見ればデメリットが大きい。
こういう組織やそこにいる人間達と断交するのは実に賢い選択だと思う。
正宗の創価破門は今となってなっては正しい選択であったことを
奇しくも創価側が証明してしまう形となった。
ネットでは池田大作半島人説。というものがしばし見受けられる。
俺はそうしたツマラナイ「ためにする」ような創価批判には興味が無いが、
どうもかの国と創価って似通っている部分がある感は否めない。
平気で言う事を変えたりすることや、仮想敵を作って内部を固める所や
本幹や文化祭などで見せる会員達の態度や表情。
大作センセの反日的な発言。
活動をしたことある人間ならば一度は日本人として
「気持ち悪さ」を感じたことがあるのではないか?
(そこを必死で打ち消そうと葛藤するのだが)
そういうような所から、大作半島人説が生まれたのかなと感じる。
まぁ、大作センセがどこの生まれかなんて興味はない。
いかなる国のいかなる人種の人であっても信用できる人は信用できるしウソつきは信用できない。
「創価はウソつき」という事は過去の発言と今の発言を比べれば一目瞭然だ。
時代が変わってルールが変わった?笑わせるな。
自分達が、自分達の都合の為だけにルールを変えただけだろう。
日興門下は700年以上も一大秘法たる戒壇大御本尊を信受してきたのである。
それを受持しないのは「日興門流」にあらず。日興門流にあらずんば「大聖人仏法」にあらずだ。
本当に大聖人仏法の信徒であろうとする気持ちがある学会員さんは
このウソつき創価と一日も早く「断交」することだ。
口で「遺憾」「抗議」する段階ではない、実効性のある行動が大切だ。
それは創価との交流を断つということだ。