先月の18日に我が家に御本尊様をお迎えしたのを機に
折角ななので心機一転という意味も込めて新しい念珠を購入した。
念珠はあまり取り替えない方がいいのだが
謗法払い(笑)ってわけじゃないが創価時代とは変えたかったんだよね。
ネットで気に入った念珠を発見したのだか
残念ながら正宗系の念珠屋さん?じゃなかったので
色々と正宗用にオーダーしないとならず
納品まで少し日数を要したが先週納品になり
納品翌日お寺にもっていき開眼供養をしてもらい
数日前から新しい念珠で勤行・唱題をしている。
お念珠と言えばその昔、まだ初心の頃に学会の壮年部の人から
「大きい珠は親珠といって父・母を表し妙と法を表しているんだよ」
「小さい珠は四菩薩を表し珠の数は煩悩と同じ108個」
「合唱すると親珠が合わさって境智冥合して手のひらで108個の煩悩を隠すんだよ」
「丸い珠は円教(妙法)を表してて円は欠けるところがないんだよ」
な~んて色々と教えてもらったことを思い出す。
昔は、創価の組織の中に信心の基本を教えてくれる
先輩・幹部がたくさんいたんだけどね。
いまは、選挙のやり方とか会合の運営の仕方とか
そんなどうでもいいことしか教えないのだから
そりゃお念珠を床でもどこでも、
ほっぽり投げる会員がいるのも頷けますな。
念珠について日寛上人は、「当家三衣抄」で
◇当家の意三衣を欠くに非ず、但上古の三衣に異なるのみ。謂わく、衣・袈裟・数珠、是れを三衣と名づく
と言われています。
念珠は「三衣」のうちの一つなんですね。
我々在家は、袈裟・衣はまとわないので、在家にとって唯一の「衣」にあたるのが念珠です。
(百八の煩悩を隠すということで衣という意味がある)
更に日寛上人は続けて
◇夫れ数珠とは此れ乃ち下根を引接して修業を牽課するの具なり
と。念珠は我等下根の凡夫の修行を助ける法具ということです。
また、
◇常に自ら身に随え志心に南無仏・南無法・南無僧と称え、乃ち一子を過ごすべし云々
ともご指南されています。
勤行唱題の時は念珠を常に手にかけなさい。という事です。
このように大切な法具だからちゃんと日興門流の流儀のものでないと。
というわけで、カラー(色付き)だった房を白房に変え
親珠に題目が彫ってあったので、何も彫っていない珠に変え
多少お値段のプラスアルファになったが
ご住職からも問題なしと太鼓判を押してもらったのが
NEW MY 念珠。であります。
しかし創価系仏壇では、房をカラーにした念珠や
親珠をバラの花にしたり、親珠の中にクマさん入れたり
わっけのわからない念珠を平然と販売してるよね。
白房には、大白法と意味があり謗法に染まらないという意味があるし
親珠のをバラにしちゃったら「妙」でも「法」でもなくなっちゃう。
なんだろね。平念珠型ブレスレットと同じように
単なるファッション?小道具?くらいにしか思ってないんだろね。
前述したけど、念珠は日興門下にとっては「法衣」なんだよなぁ。
正宗の僧侶が「真っ赤なバラの花」や
「可愛いクマちゃん」の刺繡が施された法衣を着ていたら
「謗法だぁ、謗法だぁ」って大騒ぎするんでしょ?
なのに念珠は平気でそんなモンを
販売し、販売を黙認し、購入してる。
その一点だけとっても、今の創価がいかに邪教団がわかるんだよね。
青虎目か黒檀か迷ったんだけど、石より木がいいと思い黒檀にした。
この房が色つきだったので「白房」に変更。
因みに、この壺みたいな形の部分が「功徳壺」といって
ここに功徳がたまるんだよ。と創価壮年部さんに昔教わった。
(だからあまり念珠は取り換えない方がいい。ってわけだね)