創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

創価教学じゃない御書講義(29年度2月座談会御書・妙一尼御前御消息)

法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる、

いまだ昔よりきかずみず冬の秋とかへれる事を、

いまだきかず法華経を信ずる人の凡夫となる事を、

経文には「若有聞法者無一不成仏」ととかれて候。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

 

今月は、「妙一尼御前御消息」ですね。

2月だから季節感を出した感じ?

まぁ、この御文は創価活動家の約87%(当社調べ)が

一度は読み聞きそして念じたと思われる有名な一節だね。

「冬」がイロイロと解釈することができるので

幹部も使いまわししやすい一節でもあるね。

法華経を信じる人は何で「冬」なの?って素朴な疑問もあるが

法華経を信じる人」は必ず難があるから。というのは基本線。

あ、でもこれを下手に使いうと、「そんなんじゃ信心やらない」って言われる場合ありだよ。

または、人は苦悩があるから信心をするから。

つまり「冬」になって初めて真剣に信心するってことだね。

本文に即して言うと、「冬」とは「凡夫」という事で

「春」とは成仏と言う事になるね。

 

俺も親父の借金背負って、この信心を初めて

何度この御文を心に浮かべながら唱題したことやら。

「もう冬、長すぎ。北極か!」とか思いながら唱題してたなぁあの頃は。

 

さて、今回の御文のポイントはもちろん

法華経を信じる人は」

ここ。ここに尽きる。

法華経。つまり大御本尊を信じる人。

その信心がある人は必ず成仏する。ってことだね。

今が北極圏並みの寒き冬であっても

大御本尊を信じる人には必ず「春」の功徳がやってくる。

そして一度、一生成仏したのなら(春になったら)

大御本尊を信じている限り再び苦しみの凡夫の境涯には戻らない。

そのように大聖人が太鼓判を押してくださっているのが今回拝読の御文です。

 

さて、今の創価のカツドウカさんはどうですかね?

破門後入会のカツドウカさんは

最初から「創価を信じる人」であって

法華経を信じる人」ではないので、

「冬」か「春」かは、その人の福運次第ですが

創価を信じた」時点でいつか必ず「冬」となり

「冬はおそらく冬のまま」でしょう。

 

次に破門前に大御本尊を信じていたのに

創価の邪義により大御本尊を捨ててしまい

剰えそんな邪義を正当化している

創価幹部・バリ活諸氏においては

折角の成仏の境涯から、あえなく凡夫に逆戻り決定!

冬は秋に戻らないかもしれないが

春夏秋と駆け抜けて、また冬に逆戻り状態ってことだ。

そして「冬はいつまでたっても冬のまま」っていう事になるな。

 

大聖人は

 

法華経の行者を捨て給わば諸仏還つて凡夫と成り給うべし恩を知らざる故なり(法華真言勝劣事)

 

と言われている。(どうせ法華真言勝劣事なんて読んだ事ないでしょうねぇ)

毎回書いているけど法華経の行者とは日蓮大聖人のことであり

日蓮大聖人とは一大秘法の「本門戒壇大御本尊」のこと。

いいですかぁ。大作センセの事じゃありませんよ。

この「法華経の行者」って部分を

「大作センセ」とか「創価学会」なんて解釈しないように。

その解釈だと、諸仏は大作センセのお陰で成仏した。

ってことになっちゃいますからね。おかしいでしょ?

そんな解釈するのは「創価切文我見教学」ですからね。

 

その大御本尊を捨てた創価のバリカツ・幹部は、

残念ながら苦悩の淵を彷徨う凡夫状態。つまり冬に逆戻りしてんのよ。

「諸仏」ですら「法華経の行者」を捨てれば凡夫に戻っちゃうんだぜ。

もともと凡夫のオマエさん達が戻らないわけなかろう。

 

そんなわけで、バリカツさん以外の会員の皆様は

一日も早く大御本尊に信を取る信心をしましょう。

やめられる人は、早く創価をやめましょう。

それと毎月の座談会での「とんでも御書講義」に騙されないように。

今月の御書は、上記の「法華真言勝劣事」の御文とセットで考えてくださいね。

なにせ創価教学はご都合主義ですから自分でイロイロ学ばないと「いつまでたっても冬のまま」「いつまでたっても一闡提」ってことになってしまうので用心してくださいね。(バリ活さんは、このまま一度無間に行ってから改心してくださいね)

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ