創価ダメだしブログ

創価・顕正、その他異流義破折と日蓮大聖人の仏法を正しく伝えるブログです。日蓮正宗への勧誘サイトではありません。

なんの為の会館なの?

先日のSさんのお通夜のあとに

一緒に参列した連中と食事を兼ねて少し飲んだ。

その中に一人だけ非学会員(一般の人)がいたんだけど

その人がふと俺たちに

「なんでSさんは学会の会館でお葬式しなかったの?」と聞いてきた。

「Sさんの家族は全員学会員でしょ?」

「学会にも寄付してるんでしょ?だったら会館とか使えるんじゃないの?」

それを、聞いた俺たちは呆然。

それを聞くまで俺を含めた全員が

会館で葬儀をする。なんていう事は思いもしなかった。

でも、そう言われてみれば全くその通りなんだよね。

Sさん一家は、少なく見積もっても

これまで1000万円以上は財務をしてきだろう。

それに家族全員(いまは後輩のK君は別だが)活動家だ。

いわば創価の功労者である。

その功労者が亡くなったのだから

当然、会館で葬儀をするのはアリだ。

故人やご遺族だって民間のセレモニー会館で葬儀を出すより

それこそ、慣れし親しんだ創価の会館で葬儀を出すほうが嬉しいだろう。

また、参列する学会員だって会館の方が行きやすい。

それに、会館の方が御本尊も大きいし(大きさじゃないけど)

仏具も立派(仏具じゃないけど)

そして何よりお金がかからないじゃないか。

宗門を始めとする既成仏教団体の葬儀を

「葬式仏教」とか「金儲けの手段」といって

僧侶も要らなきゃ、寺も要らない。っていって

全く仏法の本義に則っていない学会葬なんてものを推奨してるのら

葬儀に会館を無料で開放する。なんてのは当たり前の話だ。

全国のどこかの会館で会員さんの葬儀とか執り行わているのか?

それは分からないが、少なくても俺達の知る限りでは

会館で葬儀を出した。というのは見たことも聞いたこともない。

まさに思いもよらない、衝撃的な一言だった。

創価から言わせれば、会館は「使用申請」しないと使えないのだから

結婚式のような日程が決まっている催しならば応えられるが

葬儀のように急なことには対応できない。とか

或いは、会館で葬儀などやったら、

葬儀だけで他のことができなくなる。

とでも言うのだろうが

それって、やっぱり変なんだ。

会館でやってることなんて、ほとんど「会合」だし

それだって、毎日・毎晩やっているわけじゃない。

確かに、当日の会合をキャンセルするのは難しいが、

翌日以降の会合予定なんて、いくらでも変更できる。

また、活動家全員が会館での葬儀を希望するわけじゃないので

毎日葬儀でいっぱいになんてならないと思う。

創価の会館なんてアチコチにあるし。

それに、もし毎日葬儀で会館がいっぱいだったとしても

それはそれでいいじゃないか。

ブッチャケ会合なんてどこでも出来る。

わざわざ大きな会館でやる必要もない。

同時中継だってネット配信すれば会館に集まる必要もない。

そんな、どこでやっても同じ。ような事をわざわざ会館でやるくらいならば

亡くなられた学会の功労者のために会館を優先的に使ってもらう方が

本来の宗教施設としての役割を果たすし

何よりも、それが「友人葬」「学会葬」ってやつの正しい姿なんじゃないか?

会員からの浄財で会館を建て維持しているんだろ。

だとしたら当然会員が希望すれば葬儀のひとつも出せて当たり前だ。

固定資産税を徴収されないのは、会館が宗教施設だからだ。

だったらなおさら、希望者には葬儀に会館を使ってもらうべきだろう。

そでなけれな、一体何のための会館なんだ?

選挙対策本部としての会館なのか?

お忙しい幹部様たちのために会員をできるだけ大勢集めるためのハコなのか?

亡くなった創価功労者よりも、生きてる活動家の会合の方が大切なのか?

寺院なら自分の檀家に頼まれれば、葬儀をお寺で出させてくれる。

それが「葬式仏教」だから悪い。そんなの仏教じゃない。といならば

会館を使わせない。のが正しい仏教なのか?

創価の会員さんの中には、経済的理由で

お金がかかるセレモニーホールなどで葬儀を出せない人もいる。

地元の自治会館を借りたり

狭い自宅で葬儀を出した会員さんも知っている。

俺の祖母も亡くなった時は経済的に苦しい時期で

狭い自宅で「学会葬」を行った。

そうした会員さんには、創価の側から

「是非、会館を使ってください」というのが、本来のあり方だろう。

創価学会仏は、そこまでペテンが回らないのか?

その非会員の人が言った一言。

「お葬式より会合の方が大切なの?それで友人葬?なんか変なの。学会って。何のための会館なの?」

そうだよね。

これがマトモな人の感想だし、常識だよね。

そう言われてなんだか目からウロコだったよ。

俺達、創価の人間は誰ひとり今までそんな疑問を持ったことなかった。

まだまだ、俺も創価脳だなぁって思い知らされ気分だった。

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